金曜日の夜をめざして

サバイバル中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

私はアセクシャルなのかもしれない 「恋愛感情が無い」は罪なのか

昔から考えていたことがあります…

セクシャリティは敏感な問題ですし、人によって違います。他人の嗜好を簡単に断じることはできませんし、「自分はこうなんだからおまえもきっとそうだ、そうに違いない」では通用しない時代になりつつあるのは間違いありません。

私もアラサーで、それなりの時間を生きてきた中で、昔からあった「違和感」のようなものに、何か名前をつけられないか、ずっと探していました。

最近その言葉が見つかり、「もしかしたらこれが一番近いかもしれない」と思ったので書いておきます。アセクシャルです。

恋愛感情を持てない

アセクシャルはひとことで言えば性愛者の反対です。対象が同性であれ異性であれ、恋愛感情と性的欲求を持ちません。

ja.wikipedia.org

 

LGBTが表に出てくるようになった一方、疑問を持つ部分もありました。「恋愛・性愛の感情を持つことが当たり前」なのか、それはヘテロセクシャルだろうとそうじゃなかろうと、ヒトとして当然のことなのか。

それでは、他人に恋愛感情を持つことがない自分は、何なのか?世の中では「人を恋して愛すること」が素晴らしいことかのように、歌も映画も小説も…ドラマチックなストーリーの題材として当たり前のようにラブロマンスが使われているが、その当事者になれない人間は、いったい何なのか?

小さいころから「恋愛」というものが理解できませんでした。クラスで人気の男子が人気の理由がわからなかったし、その子にときめく女子の感情もわからなかった。バレンタインはなぜかチョコレートを作らされたし「女子はバレンタインにチョコを渡すべき=当然のように好きな人がいる」という大人の考えも理解できなかった。

「好きな人いる?」という話題になると、いつも困っていた。心にも思っていない人の名前を口にするのも失礼だし、かたくなに「好きな人なんていない」と言うと、よけい追及されるから面倒だった。

恋バナをコミュニケーションツールに使うのが当たり前。そういうのが昔からすごく苦手だった。「両想いになる・ならない」とか「誰が誰のことを好き・好きじゃない」とかそれ以前に、「恋の話をしなければならない」ことが理解できなくて、学生時代はきつかった。余計なお世話だし、みんなそんなに恋愛ばかりしているのか?と不思議で仕方なかった。

 

初恋はいつ?

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社会人になっても軽い話のネタに出てくるけど、これを聞かれるとすごくめんどくさい。明確に定義できる時期なんてないし、仮に最近初めて好きな人ができたとして、「先月です」って答えたら絶対ドン引きされるし。だから適当に時期をごまかしている。幼稚園~小学生に「初恋」を済ませるのがふつうらしい。

人は、他人を好きになる(性別を問わず)のが大多数の性質だから。世の中の「あたりまえ」と、自分が抱える違和感は、いまだに擦りあわせることができないし、納得することもできない。アセクシャル当事者の方がいれば話したいくらいだ。

別に恋愛を否定しているわけじゃない。恋愛は人間を進化させてきた。あらゆる芸術も恋愛がテーマで作られているし、恋愛で生み出される多様な感情は人間を成長させるのだろう。

だがしかし、「人は恋愛するのが当然」こう言われると、どうしても息苦しくなる。こういうことを言ってもどうせ「もてない女のひがみ」「食わず嫌い」「高望み」としか言われないのだろうか。(しかし、分不相応な片思いをしている人だっている。この人だって高望みじゃないか。「両想いになる可能性が低い相手を好きになる」ことと、「人を好きになることがない・まれにしかない」ことは全然違う)

成人するころまで悩んでいた。「恋愛できない」人種であることにコンプレックスがあった。

他人が簡単に他人を好きになることが、不思議で仕方なかった。自分の心には大きなロックがかかっているのだと思った。他人は簡単にそのロックを解除できるのに。

「恋愛は素晴らしい」「人を愛することは素敵なことだ」

それを否定するつもりはない。ただ、自分にとってはいつまでも聞きなじむ言葉ではない。

 

恋愛・結婚への違和感

お互い愛し合って結婚する人たちは幸せそうである。おめでたいと思う。ただ、自分がそうなれることは、きっと一生ないと思う。自分が「アセクシャル」なのか、という疑惑は年々強くなっている。

 

relax-heart.hatenablog.com

 そもそも「恋愛・性愛」感情がすっぽ抜けてしまっている。スキンシップが大嫌いで、指を触られるだけで嫌悪感がする。相手が誰だろうと、他人に自分の領域に入ってこられるのが嫌で、同性だからと気軽にそういうことをしてくるのも辛い。手をつなぐと安心する、の心境がまったくわからない。手をつなぐと不安で、「早く離れたい」そればかり思ってしまう。そう思う方が少数派なんだろうけど…

 

まわりに結婚する人が増えて、ぼんやりと思う。「この先どうするんだろうか…」と。アセクシャルの自分を認めてしまえば楽だけど、ならば「誰かと結婚」して生きていく未来を捨てることになる。

たとえば自分がレズビアンもしくはバイセクシャルだったとしたら、女性をパートナーにして暮らす未来も想定できただろう。今後いつかはパートナー制度が認められる日がくるかもしれない。

しかしアセクシャルの場合は「他人に恋愛感情を持たない」ので、そういうつながりを求めることじたいが不毛。無理してくっついたとしても「やっぱりダメ」ってなってしまうのがオチだろう。

 

relax-heart.hatenablog.com

 きっと今自分は病んでいるので「生活を安定させたい」のと「結婚したい」のがごっちゃになっているんだと思う。結婚してもだめなもんはだめだ。そういう例もいくつも見てきた。結婚したらどうにかなると思ってもやっぱりだめだった、そういうことはよくある。だから、他人に自分の人生の安定を求めてはいけない、自立してはならないと思っているのだが…

なんだか頭がぐちゃぐちゃしている。親に孫を見せたいと思ったり、「発達障害・精神障害持ちが子供を持つべきではない」と思ったり、「他人との共同生活なんて無理」と思ったり、「一人で貧困にあえいで孤独死したくない」と思ったり…思考が矛盾している。

そんな中で今後のことをぐちゃぐちゃと考えている中で、思い浮かぶのが、「でも私、アセクシャルっぽいしなあ…誰かをちゃんと好きになったことなんて無いしなあ…そんなんで結婚なんてやっていけるのか、勢いで実現してもすぐにバツがついて終わるんじゃないか…」という不安。

「人は人を好きになるべき」「恋愛すべき」という価値観がしみついた社会(当たり前ですよね。恋愛が、家庭形成の手っ取り早いトリガーですから)において、自分は何か大切なものが欠損しているのか?という不安を抱いて生きています。

もっと昔の時代は、恋愛感情なんて無くてもやっていけたのかな。