金曜日の夜をめざして

サバイバル中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

普通の人であることにこだわることに疲れてきた

お久しぶりです。気づいたら1ヶ月以上もこのブログを放置していたんですね…なんか書く気が起きませんでした。しかし最近色々あって、感じたこともたくさんあるので、だらだらと書いていきたいと思います。

 

普通とはなんなのか。それを目指してどうするのか

現状自分は発達障害気分障害を抱えているので、世の中で言うところの普通の形ではありません。気に入らない言い方ですが「定型」ではありません。しかし、それが悪いことなのだろうか、好きでこうなってるわけでもないのに勝手にレッテルを貼られて異常者よばわり、社会の外敵みたいに扱われるのはおかしいですよね。

最近思うのですが「変な人」「普通の人」「障害者」の境目なんてどこからなんだろう、どうやって決めているんだろう、時代や社会によって変わっていくものに振り回されるのがとてもしんどいんじゃないかってことです。

明らかに見てわかるハンディキャップならともかく、見えない障害に関しては「そもそもそれを障害とラベリングせざるをえない」ことがしんどいです。たとえば発達障害なら、50年前なら「偏屈な人」「変わってる人」ですんでいたのに、今では生まれてすぐにその兆候が見られたら療育スタート…それがいいか悪いかは別として、「定型」の定義が本当に狭い時代になったんだなと思います。

 

変な人、多くない?

でも思うんですけど、発達障害と診断されてなくても変なひとっていっぱいいませんか?いわゆる天才なんて変なエピソードがないと一人前といえないくらいだし、クレーマーだのパワハラだのモラハラだのするやつなんて、医学的診断されてなくたってやべえやつでしょう。

もっと広い言い方をするなら、稼いだお金を全部二次元にそそいだり、アイドル追っかけたり、ライブにいきまくる人たちだって「変な人」になるわけです。マニアじゃないですか。そもそもマニアって「躁」って意味ですし。変なことが社会的に障害にならなければ個性ですまされる、「変わってる」でどうにかなるのでしょう。

最近「ふつう」「まとも」の定義がよくわからないです。障害をクローズにしても安定して働けるくらいの状態をふつうと言うのであれば、それは年々厳しくなってきてるので、嫌なな社会だなって本当にそう思うんですけど…

柄が悪い人もルックスが奇抜な人も敬語を使えない人も「変な人」ではあるのに、社会生活で問題がないなら「個性」で終わるんですよね…もしかしたら、社会がさらに今後厳しくなれば、絵が下手な人、運動音痴、音痴も「障害」扱いされたりするのかもしれません。

個性と障害って裏返しだな、と思います。今はどんどん生きづらい時代が来ている。四角にきれいにきりそろえられた人じゃないと「定型」のラベルをはってもらうことができない。それ以外はアウトレット扱い。薬物治療や療育は進んでいますけど、本当はそんなの必要ない社会だったらいいのに(社会での生きづらさを抱え続けた結果、うつ病などの二次疾患を引き起こして苦しむわけですし)

今後も「定型」「ふつう」が減っていく社会に突き進んでいくんですかね。私はへんてこな人間だろうと極力個性で許してもらえるような、穏やかな時代になってほしいものですが、今の治療方針は「とにかく定型に近づけ」なんですよね。

とがった部分やへこんだ部分をナイフで切り落としていくのが、今の時代のやり方のようです。ほんとめんどくさい。マイノリティな要素をまったく持っていない人なんているもんなんですかね?定型ってなんなんだろう。よくわからん。