金曜日の夜をめざして

サバイバル中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

24時間テレビという感動ポルノに加われない精神障害

やはりわかっていたことですし毎年のことなのでもう諦めていますが、やはり精神障害が表に出ることはありませんでした。精神障害24時間テレビには需要がないようです。このまま精神障害は闇の存在としてテレビに晒されることもないのでしょう。

撮るメリットがない障害者

つまりは感動ポルノとして需要のある障害者だけがテレビに出るのです。テレビ画面でいかにもかわいそうに見える同情しやすい障害者に注目が集まるのです。誰の目にとっても共感しやすい障害者だけがテレビに映る意味があります。チャリティーの対象にするにはそういう人間が必要なのです。わかりやすさ、それだけが大切です。

 

しかしどうでしょう、精神障害は?うつ病は?双極性障害は?発達障害は?テレビに映っても受けが良いでしょうか?

本人は困ってることが多いのに、それを共感してもらえることがない。パッと見は普通の人間にしか見えないから、精神障害の症状なんて甘えとしか受け取ってもらえない。昔よりは理解が進んだかもしれませんが、精神障害は未だに他人には理解されづらく、障害者のカテゴリにはなかなか他人には認められづらいものです。

 

そういう存在にはテレビに出るには使えない。感動ポルノのメンバーとしては意味が無い。チャリティーを促進する能力がない。プロモにならない。マスコットにもならない。感動を呼び起こさない。

それでしかない。精神障害の認知などその程度ですし、社会に認められづらいものですし、お金にならない、撮影する価値のない存在です。

 

精神障害の暮らしをドキュメントしたところで

たとえば足や手がない人が困難を乗り越えるのであればその映像は需要があるかもしれません。わかりやすいハンディキャップをかかえた人間が、その問題を乗り越えていく映像は素晴らしく、感動を誘うものなのでしょう。なにも考えずに一瞬で感動できる、インスタントに涙を流せる、そういうコンテンツが、あの番組の求めるものなのでしょう。

 

しかしです。精神障害がハンディキャップを乗り越える姿、それは果たして絵的に感動を誘うものでしょうか。

たとえば朝起きられなくて会社に行くのも吐き気がして駅で倒れるような精神障害の人が、無事に会社までたどりつくチャレンジをしたとします。それは障害者本人には途方もない困難ですし、苦しいしつらいし一所懸命乗り越えるべきものなのですが、そうじゃない人にとっては?

「朝起きて出勤するとか当たり前じゃん」「なにがそんなにつらいの」「おまえよりつらい思いをしてる人なんていくらでもいる」「そういうのってナマケモノなんじゃないの」

理解されないでしょう。五体満足の人間がのろのろ出勤したところで、その映像に何の感動ポルノ要素があるでしょう?涙を流させて、地球を救う効果があるでしょうか?

 

障害者以外にしてもそうです。私は芸能人がマラソンをするあの企画が理解不能なのですが、あれで感動する人もいるのでしょう。頼まれてもないのに毎年律儀に走ってるんですから、あれはあれでチャリティーとしてお金を集める意味があるのでしょう。少なくとも精神障害が日常生活を送るためにがんばるドキュメンタリーなんかよりは。

あとは有名ジャニーズがパーソナリティを務めたり。人気者が番組を進めることで視聴率は上がりますし、アイドル×障害者の企画は金と感動を集めます。チャリティー番組としては最適の組み合わせでしょう。

 

ノーギャラじゃなかったり謎の多い番組なのですが、それでも主目的である金を6億以上も集める効果はあるのですから正解なのでしょう。

 

テレビ向きではない障害者

たとえば身体ハンディキャップがある障害者が生放送でパフォーマンスをするにあたって、多少おぼつかなかったりすることはあっても「決定的なミス」が起きることは少ないでしょう。

精神障害が例えばダンスをする企画があったとしましょう。これが「精神障害が頑張ってダンスを達成した」なら、「なんだ、病気なんてやっぱりうそじゃん」「たいしたことないのに障害者ぶってるんだ」と思われるし、「そもそもスタジオまで来れない」状況になったら放送が破綻します。

 

精神障害がテレビ、とくに生放送にでられないのは、そのタイミングでの出演が本当に難しいからでしょう。誰もその日時にテレビに出られると断言できることはない。たとえ症状がやばくて外に出られなかったとしても、「甘えるな」「病気をいいわけにするな」「やっぱり精神障害はネタにできない」「そもそも精神障害で企画組むなよ」となる。チャリティー効果が弱まり、金を集める効果がなくなり、感動ポルノとして意味を持たなくなります。

精神障害がパフォーマンスに成功しても失敗しても、感動ポルノへの貢献がとても難しい。

 

障害者は身体だけじゃない

マイノリティである障害者は、なにも身体だけではありません。あの番組ではとにかく身体障害者だけがマイノリティとして取り上げられていますが、そうじゃない人間だって多数います。精神障害に限らず、見えない障害を持っている人だって沢山います。

 

24時間テレビ身体障害者を使って感動ポルノを成立させ、カネを集める番組なのであれば、精神障害ふくめ見えない障害者はお呼びじゃありません。金を集める力がない障害者なんて、あの番組には必要ありません。

「障害者」にスポットライトを当てる番組なのであれば、見えない障害者を表に出す試みがもっと増えてもいいのではと思います。それにより募金は減るでしょう。感動を誘うショット、いわゆる撮れ高は減るのですから、一目でわからないマイノリティのチャレンジなんて、認知されそうもありません。

 

一昔前なら障害者=身体障害者だったかもしれませんが、現代ではそうじゃありません。あまりにも障害者は多いし、マイノリティのバリエーションも多い。

そういう人達にスポットライトを当てないのは、番組としては時代遅れと思わざるを得ません。今の社会では、たくさんの人がマイノリティの要素をかかえて暮らしています。あきらめている人もいますし、それを乗り越えるために日々戦っている人もいます。

それを取り上げるのがマスメディアとしての大きな機能と思うのですが、24時間テレビにそれをやる気があるのかは、疑問です。あくまで最大限に金を集めるのであれば、現在のやり方は成功してるのでしょうから。

 

今後は見えないマイノリティも含めて取り上げていく番組としてシフトチェンジするのであれば、24時間テレビはもっと面白いものになるのにと「個人的に」思います。その意見が世間としては少数派なのでしょうけれど。

 

あの番組を見る度に不快感はあります。障害者を使って「かわいそうな人達を思って涙を流す私」に浸らせるあの番組は偽善でしかないし、感動ポルノでカネを取る構図は嫌いです。それでも無くならないのは、感動ポルノを求めている人は世の中には多くて、そのためにカネを募金する人も多いからでしょう。

特定の障害者を悪くいう訳ではありません。その人のハンデを使って「かわいそう…涙」を誘う番組のやり方に不満があるのです。

 

もっと様々なマイノリティを取り上げる番組になればいいなと思うのですが、それが24時間テレビの趣旨からズレるのであれば、この先も従来のスタイルで続くのでしょう。

感動ポルノの一員に加わりたいわけではありませんが、あの番組の「障害者=身体障害者」みたいな取り上げ方には、これまでもこれからも疑問を持つのでしょう。