金曜日の夜をめざして

一人暮らしのリハビリ中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

この増田はアセクシャルなんじゃないのか、理解されづらくてしんどいよね

まるで自分が書いたのか?と思うような増田が投稿されていたので、紹介します。自分みたいな状態の人って結構いるのかもしれない、と思わされました。

anond.hatelabo.jp

細かいことは書きませんが、私も上記に近いです。カウンセリングが必要なのか、認知のゆがみを直す必要があるのか、さんざ考えました。10代のころからそうでした。必死に人を好きになろう、ならなければならないと思った時期もありました。

最近あきらめました。ムリです。ムリなことを強制的にやっても、仕方ない。

無性愛、あるいは性嫌悪じゃないのか

自分はたぶん無性愛(アセクシャル)か性嫌悪です。しっかり診断をもらったわけじゃないので自己判断ですが。他人に深く踏み入ることも踏み入れられることも非常に嫌悪する。たとえば友人として仲良くしていたはずなのに、そういうモードに切り替わると一気に気持ち悪くなる。自分のバリアを壊されるような恐怖が先立ってしまい、「そんな人と思わなかった」という嫌悪感が沸き上がり、逃亡してしまう。そういうことが多い。

 

relax-heart.hatenablog.com

 こういうことを書くと「もてない言い訳」とか「まだ本気になれる人に出会ってないだけ」とよく言われます。しかし最近読んだアセクシャルに関する本で「ゼロが1になっても、2になっても、10になっても、しっくりこない限りあれこれ言ってくる人はいる」って言葉にとても納得しました。食わず嫌いするな、と言われても、たとえばカブトムシを食べたいとは思わない、たとえみんながカブトムシを食べていたとしても自分にはどうしても受け入れがたい習慣だとしたら、何回食べようと慣れるもんじゃない。そういうことに近いのかなと思います。

 

世の中に性的な要素を含むコンテンツが多いのはわかります。当然です、生き物の欲求として基本的に備わっているのですから、それが全くない世界の方が不健全だと思います。

ヒットチャートはラブソングばかりだし、少年漫画のオチは主人公とヒロインが結婚してその子供の続編になったりするし、恋愛が前提のように世の中は成り立つ。恋愛要素のなかったはずの漫画が実写化されたとたん恋愛ドラマになってしまって衝撃を受けたり。

それを「コンテンツ」として楽しむことは可能です。ラブソングの切なさに共感する、ハッピーエンドの映画に感動する。そういうことも可能です。同じように友達の結婚や子供が生まれることも「めでたい」と思うことはできます。

しかし、自分にはそれができるとは思わない。遠い世界の芸当のように思える。

 

たとえば体操のすさまじい技を見て「すごいな」と思うことはあっても自分が体操選手になりたいか?って思ったら思わない。だけど世の中は体操選手になるのが当然で、それを選ばない人はなんか変と思われる。そこに違和感があるんですね。

日本人なのにコメを食べないの?コメが苦手なの?変なのー!って言われるのと同じ感じなのかもしれません。人間なのに恋愛しないの?できないの?変なのー!って言われて「ええ…」ってなる感じ。

 

別に避けてるわけでもないし、人を好きにならないと固い決意があるわけでもない。宗教上の理由があるわけでもない。ただ生きていたら結果的にこうなった。それだけなんですけどね。なかなか理解されなくて、「それって変だね」「病院行けば」って言われて終わり。そういう相談ができる病院があれば試しに行きたいですけど、こんなん治す薬とかあるのか?って謎です。

 

恋愛・性愛は素晴らしいことだと思う

言っておきたいのは別に恋愛を否定したいわけじゃないってことです。そういう心の仕組みが存在することは大切。生物の歴史を存続させるために必須の機能と思います。だからこそ数千年にかけて恋愛を題材にした作品は絶賛されてきたのでしょう。クラシックだろうとモダンだろうと恋愛の要素は当然のように入っている。パンを食べるように、夜は眠るように、恋愛をする。早ければ3歳くらいから、遅くても成人前には目覚めるんじゃないでしょうか。

恋愛は大切。しかし、自分にそれができるかっていうと別問題なんです。人に必要以上に触れたくないし、触れられたくない。ものすごくパーソナルスペースが広いのかもしれない。近くに人がいることが苦痛で仕方ない。苦痛を通り越して恐怖になることさえある。

 

研究データでは自閉症スペクトラムの人にはアセクシャルが多い(接触過敏、不快感を覚える)というのもあるそうです。だから自分もその筋かもしれないですね。

 

relax-heart.hatenablog.com

 女子がよくやる恋バナというのも非常に苦手ですし「初恋はいつ?」「どういう人がタイプ?」って言われても答えを濁してしまう。適当に捏造する。そもそも恋に落ちる感覚がなんなのかよくわからないので「初恋」と言われても、どのポイントを定義するのかわからない。そしてこんなことを言ってる時点で「変」なんですよね、たぶん。

 

人が全部同じ顔に見える、ってわけじゃありません。この人かっこいい/美人だなって思う機能はあります。良い人だな、って思うこともあります。しかしそこまでで止まる。その先の恋愛に向かう通路が自分には無い。美しい、良い人だなあ、それで終了。自分のプログラムは人より短いのかもしれない。「好きになる」まで到達する道が存在しないか、果てしなく遠いか。

ただそういう気持ちを持ったまま結婚とかしてる人って意外と多いと思うんですよね。特に女性。恋愛感情は持ってないけど結婚したいからこの人と付き合った、とか、目的と手段が逆転している人が自分の周りにもいる。だから潜在的アセクシャルも意外といるんじゃないか?珍しくはないんじゃないか?って思います。昔はお見合いで強制的に結婚できてたけど、今は自由意志の時代ですし…

 

増田さん、私もたぶん同類です

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この匿名ダイアリーを読んだとき非常に腑に落ちたし、自分と同じような気持ちの人っていたんだな、と安心しました。にわかには理解されづらいだろうし、「矯正」しろって言われても困るし(それを言うならゲイやレズビアンは異性とむりやり恋愛すれば治るのか?)「恋愛しない・できない・するのが嫌」って思考を持つ人って存在するはずなんですよね。たぶん人によっては意味わかんないでしょうし「生物なのにどうしてそういう思考になるの?」と言われるかもしれません。

しかし「なんでそうなるの」なんてこっちが聞きたいし、治す・治さないって概念で考えられるのもなんか気に入らないし、それこそレインボーのグラデーションの一部にいる、多様性の一部にいる、権利を持ってもいいんではないかと思います。

 

しかし不思議なんですよね。なんで他人はあんなにすごい速さで他人を好きになることができるのか。それが本能と言われたらそこまでですけど、すごい心・体のスイッチングしてますよね。

なんというか、自分は導火線が切れた爆弾みたいなもんなんです。火がついたとしても爆弾までたどりつかない。ほかの人はすぐに爆弾までたどりついて「この人いいかも!好きかも!」になるのかもしれない。しかし自分は導火線のはしっこで燃え尽きるので爆弾に火がつくことがない。

 

別にアセクシャルの者たちで世界を変えようとか、特別な権利を手に入れようとかは思っていません。恋愛しなくてもただちには人生には影響がないので(適齢期には結婚がどうたらってうるさいですけど…)ただ「そういう人もいるよね」って浸透するといいなぁって思います。

「そんなのおかしい」「治したほうがいいんじゃない」「努力が足りない」と言われても、こっちもどうしたらいいかわからない。イケメン100人に取り囲まれて1か月暮らせばさすがに恋愛するでしょ?って言われても、そんな荒療治をすることじたいが「それっておかしいでしょ」って証明されてるようで、なんか気に入らない。

 

もっと言うなら、異性だから好きになるっていう生物のプログラムじたいに自分自身は疑問がある。というか、ヘテロセクシャルだろうとそうじゃなかろうと「誰かを愛することが世界で当然共有されるべき権利であり、至上の幸福である」ってスローガンが、もうよくわからない。それをできない自分は枠の外にはじかれたようで、愛する能力がない自分はダメな存在であるかのようで、勝手に凹む。

 

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この先誰かを好きになり愛し合うことがあればそれはそれで幸福であるかもしれません。今アセクシャルだからといって今後も必ずそうかというと分からない。ある日いきなり嗜好は変わるのかもしれない。

しかし今のアセクシャルの状態も、それはそれで世の中の一部で当然存在する、ってことも理解されたら嬉しい。「恋をして当然」の枠外にいる人も当然いる、って認識になればいい。別に恋愛とかのコンテンツをぶっ潰す気はまったくない。感動的なラブソングや映画、あらゆる芸術品はもっと増えるべきだと思う。

 

ただ、当事者ではない、そういう人もいるって、それだけ。

レインボーのどっかにいる、ってことが日本でももっと浸透したらいいですね。