金曜日の夜をめざして

一人暮らしのリハビリ中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

「うつヌケ」と心の支えと「無敵の人」について

本棚を整理していたら前に読んでいた本が出てきました。今から二年前、ひどいうつでよれよれだったときに読んだものです。「うつヌケ」。手にとった人も多いんじゃないでしょうか。

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 この本が出てから「うつぬけ」のワードが増えた感じがします。というか2017年からうつ関係の書籍が増えたような。自分が見るようになったからってだけかもしれませんが。カジュアルな表紙で手に取りやすいですよね。薄いピンクでとっつきやすい絵柄。うつという題材の重さに反し、優しいタッチで進む物語は、患者も家族も読みやすいです。

ただこれを初めて読んだころからずっともやもやしてたことがありまして、それを今回も感じたので記事にしておこうと思います。

クリエイター・優秀な人が多い

うつ経験者の体験談を中心に話が進むのですが、著者の性質上仕方ないのか、創作畑の人が多いです。ゲームクリエイターや小説家、ミュージシャン、アダルトビデオ監督。彼らが経験したうつと、それを抜けるための対処法が描かれています。

しかしです、この本を読んだ人の多くが思うことでしょうけど「普通の会社員」「普通の人」の経験談が少なくない?ってことです。そりゃ「うつ」ってくくりではみんな一緒かもしれませんけど、創作畑にいる人たちと、多くの会社員の病み方って、共通するのでしょうか?共感できるのでしょうか?たとえば学生時代のトラブルでうつ病になった人がいて、その人が「ミュージシャンとしてブレイクした後の不安でうつになった」人の気持ちを理解することができるでしょうか?少なくとも私にはできません。せめて「そんなすごい人でも病むんだ」くらいは思うことはできますが「共感」は難しいです。だって彼らのバックグラウンドがわからないんですから。サンプルとして見るには遠すぎる。

あと会社員の例もありますが、外資系でバリバリ働いて海外で暮らしてハイスペックなんですよね……いわゆるそのへんでありふれた会社員なんかじゃない。たしかに病んでいるのですが、患者がこのケースを読んだときに思うことは「ああ、この人はこんなにすごいのに私は何をやっているんだろう」と自虐することじゃないでしょうか。人って比較する生き物だから、上を見ると嫉妬するし下を見ると安心します。この本に出てくる人たちはみんな「普通より上」なんですよね。それを患者が読んで参考になるか?という点は、最初に読んだころから疑問でした。それなら「死ぬくらいなら会社辞めたら」のほうが共感できます。

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 ただでさえ自己肯定が終わっているうつ病患者が、ハイスペックの成功者たちの話を素直に聞けるのか?という疑問はあります。「自分はこんなにだめなんだ」と思い込んでしまう、思い込ませてしまう危険はちょっとあったのかな、と思います。言いがかりに近いですけどね…ただ、たとえば休職して布団に入って自分の無力さにおいおい泣いてる状態で読むのはちょっと危ない気がします。だって、うつの対処法が「催眠を心得ているから自分の深層心理にダイブする」ですよ?そんなの凡人にできるわけないじゃないですか。

 

心ある理解者の存在

うつから立ち直るカギは自分を肯定してくれる存在。これがこの本で訴えられていることです。たしかにそれは正しい。家族なり仕事なりで自分を認めてもらう。小さいころからの劣等感・自己嫌悪を克服する。そうすることで心のひびを埋めていく。それは理解できます。

しかし、それができたら苦労しないわけです。

この本に出てくる人たち、周りにめっちゃ恵まれてるんですよね。自分の仕事を評価してくれる同僚がいたり、ぼろぼろになっても一緒にいてくれる家族がいたり、ジョークを言いながら一緒にドライブしてくれる友達がいたり。「ひとりじゃない」んですよ。これが決定的。どの人のエピソードでもそう。誰かに助けられている。助けてくれる人がいる。そこから持ち直していく。うつトンネルを抜けていく。

しかし、そんなうまいこといきますか?

休職した人間なんて捨てる会社は山ほどあるし、病気の理解もない家族なんていっぱいいる、友達なんていない。暮らしていくのも必死で趣味を楽しむ余裕もない。毎日が絶望と困窮の中で、どうやって助けを求めたらいい?誰が助けてくれる?この最悪の状態をどうすれば脱却できる?

この本のメッセージかつ痛烈な皮肉は、「ひとりでは治せない」ってことです。理解ある配偶者、親、子供、近所の人たち、友達、同僚、これらの存在がキーポイントになる。それは著者自身の体験で「自分を肯定することがうつの治癒につながる」と語られているからです。自分を肯定してくれる人が近くにいれば、失われた自信を取り戻し、前向きに未来を見ることができる。うつトンネルを抜けられるってわけです。

じゃあ、そんな人がいない場合は?どこに心のよりどころを求めたらいい?薬づけの治療を批判する前に、誰も味方がいない人たちは、この「恵まれたうつ患者」のケースから何を学べばいいんでしょうか?

 

無敵の人=味方がいない人

最近よく聞く言葉です、「無敵の人」。失うものがない人。何もリスクが無い、何をしようと恐怖もない。だって何も背負っていないから。存在が求められていないから。

うつぬけを読んでいて「無敵の人」というワードがちらつきました。誰も味方がいない、敵もいなければ味方もいない、本当にひとりの人間にとって、この「うつぬけ」が伝えたいことって、実はめちゃくちゃ残酷なんじゃないか。だって自分を肯定することがうつからの抜け道なんだとしたら、誰にも肯定してもらえない存在は、どうしようもないじゃないですか。むしろ忌み嫌われて邪魔者扱いされている人間は、どうしたらいいのでしょう。生きることがつらいといくら叫んでもこだまさえ帰ってこない。それほど孤独の人は、実は結構いるんじゃないか。そう思うんですよね。

うつぬけに載っているケースはほとんど本人が優秀で周囲にも恵まれているものばかりなので、はっきり言ってロースペックの人に参考になるのか疑問です。鋼の剣を彼らが持っているのであれば、ロースペは檜の棒。それくらいの格差を感じさせますので、なんというか、この本が書く優しいストーリーは、果たして「本当に届けるべき人」には届いているんだろうか、と甚だしく疑ってしまいます。

こうだからうつになる、とか心が弱いかうつになるとかは完全に偏見で、いろんな理由があって誰しも心を病むことはあります。ただしそれを抜ける方法は、「多い人」と「少ない人」は絶対に分かれていると思うんです。だって無能だったら元同僚からプロジェクトに誘われて自信を取り戻したりしないし、ライブで歓声を浴びて自分が求められていることを実感したりしない。なんにもできない。病むことしかできない。家族や友人の援助もない。誰一人助けてくれない。そんなとき、人間はどうなるのでしょうか?

うつぬけが出たころにはまだ無敵の人って言葉は浸透してなかったように思います。ただ最近、そういう言葉がふっと頭をよぎることがあって、「助けの格差」を実感します。うつヌケできた人たちはそもそも優秀で周囲からの信頼も篤かったパターンですからね(だからこそ書籍に載ったのでしょう。つまりは上級のうつ患者です)。本当にどうしようもない人ってどうなるんだろう。医療の力だけで治しきれないのなら、誰がどうするんだろう?無敵の人になってしまったら、どうなるんだろう?

うつぬけを読んでて不安になりました。初めて読んだころの違和感が最近具現化してきています。うつから抜ける道が「多い」人と、「少ない人」は確実に予後が違う。チャンスの数が絶対的に違う。そういう好機に恵まれない人でもキャッチアップして病を抜け出す名案って、無いものですかね。果てしなく孤独な人の行き先が果てしなく暗いものにならないように、当事者じゃなくても気に置いておく必要はあると思います。