うつアスペ会社員と呼ばれて

うつ病とかアスペルガー症候群とかいろいろ

「変わった子」と呼ばれ続け、生きづらさがあったうつ病&発達障害会社員

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先日、WAIS-3テストを受けてアスペルガー症候群と診断されました。

小さいころから「変わった子」と呼ばれ続けた理由が、少し腑に落ちたような気がします。

 

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自分が発達障害とは知らないままでしたが、こうして試験で結果が見せられると「自分が発達障害」なのかと思わざるを得ません。

自分が「ほかの人とは違う」と思わざるを得ない場面が小さいころから数々あったので、「やっぱりそうだったのか」と感じました。

 

今回から、自分の人生を振り返る記事を増やしていきたいと思います。「変わっている」と言われることの多かった人が、少しでも共感できるポイントがあったら幸いです。私自身、自分のことを「変わっている」と思っていますし、他人からも「まあ、ちょっとズレてるよね」とは呆れた様子でよく言われます。その「変わっている」がASD由来であることはWAIS-3結果から明らかなので、同様にASDの方も読んでいただけたら幸いです。長くなりますが。

 物心ついたころから「変わった子」

思えば物心がついた2~3歳から自分はほかの子供とは違うという感覚がありました。集団の遊びになかなか入れず、一人で遊ぶことが多かったです。友達の輪に入れないことはないんですが、一人でもくもくと絵を描いたり、えんえんとぶらんこに乗るのが好きな子供でした。ごっこ遊びもよくやっていましたし、他の子どもが嫌いとかなじめないというわけではなかったのですが、それ以上に遥かに「ひとりが好き」なこどもでした。

 

一人が好きな子供というのは珍しかったのか、幼稚園の先生に「もっとほかの子たちと遊ばないとだめ」と諭されたのを覚えています。先生と一緒に遊んでいた時期もありました。先生は内心不安に思っていたのかもしれません。いわゆる普通の子供らしく過ごせない私のことを心配に思っていたのかもしれません。

 

本を読むのはとても好きで、幼稚園児のころから漫画や児童書をよく読んでいました。小学校に入ったころには、すでに中学校レベルの漢字の読み書きはできていました。その一方で手先の不器用さや運動神経が壊滅的でした。折り紙がお手本があってもまったくできないですし、ダンスもほんとうに苦手です。ドッジボールもいつもさっさとぶつかってしまう側でしたし、かけっこはいつもビリでした。絵を描くことは漫画を読んでいた影響からか結構得意で、図工の授業の絵のときはよく褒められていました。今も絵心がない方ではないと思っています。手先を動かすことがほとんど苦手な私にとって、珍しく絵を描くことは結構得意というか、人並みにできることです。

 

手先が本当に不器用なので、「家庭科」の授業の裁縫、料理、「技術」の時間の工作、設計図通りにロボを組み立てる授業なども苦手でした。どの食べ物にどの栄養素が入っている、などは覚えやすいのですが、実際の料理はとんと不器用で、食べ物を焦がしたり煮すぎたりすることもしばしばでした。これは今も同じで、料理はとても得意とは言えません。一人暮らしですが、コンビニやスーパー、ファミレスで食事することがほとんどです。自炊に気合を入れた時期もあったのですが、「自分で作るより店のを食べたほうが美味しいし野菜や魚も取れるしいいじゃん」と思ってしまうのです……料理教室に通おうかと思った時期もありましたが、わたしの性格上、通っても絶対に最初か2回目で飽きてしまうのが目に見えているので、〇〇教室には極力お金を落とさないようにしています。誰かになにかを教わるために金を使うくらいなら、多少遠回りでも自分のやり方で楽しみながらやりたい。

 

小学校であったいじめ?

前述のとおり「変わった子」として生きてきたので、小学校での集団生活6年間は結構大変でした。みなさん、小学校の6年間が一番長い時間だったと思いませんか?私は人生で一番長い時間だなあと思いました。自分は一生小学生なんじゃないのかと思っていました。うちの小学校は人数が少なかったので、クラス替えによる人材交換もあまりなく、結構閉鎖的な環境で日々暮らしていたと思います。

 

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 陰湿と言うかムラ社会というか、そういう世界の中で生きていると、発生しますよね。いろんな人がターゲットになっていました。きっかけはあったりなかったり、適当です。男子に好かれてるからむかつく、とか、授業中に吐いたから気持ち悪い、とか、その程度です。小学生がいじめる原因なんてそれくらい単純なものでしょう。

 

わたしもたぶんいま思えばいじめられていました。当時はいじめという概念が頭になかったので自分がいじめられているという意識はありませんでしたが、あとあと振り返ると「あれっていじめられてたんじゃないか?」と思うことがいくつかありました。

 

いろいろ言われましたよねー。「嫌い」とか「気持ち悪い」とか「幽霊」「ブタ」「死ね」とかいろいろ言われました。あと誰も休み時間一緒に遊んでくれない、という期間も長く続きました。だから昼休みとかほんと地獄でしたね。当時の担任の先生が「子供外で遊ぶのが健康的だ」という考えを押し付けるほんとに大嫌いな教師で、図書室に行こうとするわたしの腕を引っ張って運動場に放り投げたりするんですねー。そして帰りのホームルームでひとりひとり「今日はだれだれちゃんとなんとかというスポーツをして遊びました!」と報告させるんですねー。マジでくそだと思います。最低だと思います。

 

当時の私は本を読むことが大好きで、可能ならばずっと図書室にいて図書室中の伝記や図鑑、小説を読みつくしたかったのに、「子供は外に出て遊ばないとろくな大人にならない」と繰り返し怒鳴り、外に放り出し、結局ひとりで運動場を散歩するしかない…という無駄な時間を過ごしました。あのときの教師の名前はいまだに憶えていますし、いまだに憎んでいます。しょせん教師なんてゴミだな、という思考が始まったのもこのころです。親が呼び出されてゴミ教師に「もみじちゃんは本を読んでばかりで教育に良くない。もっと外に出て人と遊ばせないと将来ろくな大人になりませんよ」と言われたのを覚えています。うっせーばーーーか!!!!って今なら思うんですけどね。私が体育会系の人間が大嫌いなのもここに所以します。筋肉主義を押し付けてくる奴なんて全員死ねばいいと思っています。

 

ASDとくにADHDに見られる授業中の落ち着きのなさ、集中力のなさは特にありませんでした。普通に授業を受けていたと思います。成績はクラストップでした。小学校の授業程度なら、とくに勉強しなくても簡単に理解できます。ただ、体育が苦手なのが本当にネックでした。マット運動をやらせても、跳び箱をやらせても、縄跳びをやらせても、全部だめ。人並みにできるのは水泳くらい。あと「道徳」の授業がなんか気持ち悪くて苦手でした。道徳と言うより、その教師の思想を押し付けてくる感じが不愉快でした。「もみじちゃんはどう思う?」という先生の言葉に思った通りに答えたら激怒された経験があるので、「ああこれは私自身の意見よりも先生が期待している意見を言わせるための授業なんだな、なんだクソやん」と思ったのを記憶しています。このころからアスペ特有の空気の読めなさ、本音を思った通りに言ってしまうところが出てしまっていたのかもしれませんが…

 

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小学校高学年は、ある部活に入って3年間勤めあげました。結構練習の厳しい部活だったのによく6年生の終盤までやれたなと自分でも感心します。しょっちゅう練習ばっくれたり、部活やめたいと先生に訴えたりもしましたが……途中で顧問の先生がすごく厳しい人から優しい人に変わったので、その先生と話すのが楽しくて部活に通うようになったというのもあります。

 

低学年は結構いじめられたり悪口を言われたりもありましたが、高学年は部活に入っていたということもあって、結構クラスメイトとも仲良くやれてたんじゃないかと思います。不登校になるような大きなトラブルもありませんでしたし。成績も相変わらずクラストップだったので、特に心配することはありませんでした。当時はニンテンドー64やゲームボーイカラーが流行っていたので、友達の家や自分の家でゲームをして遊んでいたりしました。決して空気が読めるとか、モテるとか、要領がいい方ではありませんでしたが、それでもなんとかやれましたね。今思えばあんな閉鎖的空間で6年間、良く似たメンバーとトラブルを起こしながらも、良くやり過ごせたなと思います。

 

荒れ果てた中学校

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変わった子は中学校でも浮いていた

進学したのは公立の中学校でした。公立あるあるですが、風紀が荒いです。北斗の拳の世界かと思うくらい荒れ果てています。これが嫌いな子たちは小学校4年くらいから勉強し、受験をし、私立中学校に進学していました。しかし「我が家にはお金がない」ことを知っていたわたしは、特に私立に行きたいとも思わず、公立の中学校に進みました。そしたらまあ、荒れたこと荒れたこと。授業中にバレーボールが教室を飛び交ったり、先生に向かってぞうきんを投げつけたり、校庭で花火を打ち上げたり、そんなことがしょっちゅうでした。いわゆるガラの悪い地域の子供が多く、そこの子はたいがい不良でした。不良は不良でも、授業をばっくれる系の不良なら別にいいんですけど、授業妨害する方の不良は本気で迷惑なのでやめてほしいんですよね…もちろん授業なんて成り立たず、50分授業のうち45分が説教なんてことがほとんどでした。「今日の分は自習してきてください!」で終了です。教師いらんやん、ごみやん、と思いましたね。授業もせずに給料がもらえるんだからいいお仕事です。

 

中学ではとりあえず「いじめられないこと」に気を付けました。なんせ不良が多いので、いじめだって横行しています。自転車ぱくられたり机を窓から投げられたりもしょちゅうです。こんな世界の終わりみたいな状況でいじめのターゲットにされたら面倒くさいなと思ったわたしは、とりあえずダイエットしました。太っていたので、5~6キロ落として標準体型にしました(結局のちのちにはリバウンドするのですが)。あと「勉強できる奴には不良は手を出してこない」傾向があったので、勉強して学年トップを維持しました。そしたら不良が絡んでくることはほとんどありませんでしたね。

 

不良は「弱い奴」「優れたところがない奴」「どんくさい奴」をいじめる傾向にあるので、弱みを見せてはならないと思って日々暮らしていました。それでも容姿をけなされたりすることは多少ありましたが、いじめにまでは発展しませんでした。部活にも少しの間入っていましたが、顧問がほとんど幽霊顧問で、果たして部活として機能しているのか怪しい謡でした。部活よりかは勉強、勉強よりかはゲームや本、という生活を送っていましたね…まだケータイを持っていなかったので、知識欲は全部ブックオフで買った安いゲームや、図書館d借りた本に頼っていました。ハリーポッターシリーズが大人気だった時代ですね。ダレンシャンとか指輪物語も流行ったな。

 

決して目立つことなく陰キャラではあったのですが、少ない友達にも恵まれ…まあのちに絶縁する人もいるんですけど…中学時代は比較的穏やかに過ごせたと思います。中学3年は忙しいながら毎日楽しかった。クラスの違う友達とも集まっていろいろ話せたのがよかったと思います。

 

陰キャラを極めた高校時代

普通高校時代と言うと部活にバイトに恋愛にと、人生でかなり華々しい時代だったりするんですけどね…私にはそういうリア充系イベントは一切発生しませんでした。今までの人生で一番印象が薄いのが高校時代だったかもしれません。中学ほどパンチ効いた不良もいませんでしたし、大学ほど勉強で修羅場を繰り返したこともありませんでしたし、派手にぐれたりもしなければ異様に落ちぶれたりもしませんでした。ただただ、地味でした。これといった思い出もなかったなあ。

 

今に至る基盤を築いたのは高校時代でしたが、「高校時代限定」のきらきらした想い出なんかは皆無だったように思います。部活に入ってなかったし、バイトは禁止でしたし、進学校なので夏休みもしょっちゅう補習だなんだと登校させられましたし。もくもくと机に向かっていた3年間だったかな?何の楽しみもない結構シビアな環境だったので、よく不登校にならなかったなと思います。まあ、学校の偏差値が上がって、みんないじめとかくだらないことに時間を割くほど暇がなかったのでしょう。不良が少ない高校だったのはよかったです。

 

ただ高校は学区外だったので、知り合いがほとんどいないところからのスタートでした。これがきつかったですねー…コミュ障がひどかったので、誰かに新しく声をかけて仲間をつくる、という行為が全然できませんでした。半年くらいかかったんじゃないでしょうか、学区外の友達ができたのは…。進学校で勉強も一気に難しくなり、「うわあついていくの大変だな…」と思い始めてきました。小学校中学校トップで来たのですが、ここにきて親が「やっぱり高校ではトップになれないのね…」ととても悲しげに言うのがなんだか嫌でした。トップじゃないわたしのことは認めてくれないのか、と思いました。

 

高校でケータイを買い与えられ、あと自分のお金でパソコンを買い、「インターネット」という知識の海にずぶずぶとはまることになりました。このころからリアルよりもネットの世界にはまり込むようになります。まだミクシィやツイッターもなかったころですから、当時よく見ていたのは2ちゃんねるでした。漫画やアニメ、ゲームのスレをよく読んでいたなあ。あと「学校が嫌い」ってスレを見つけては、「わかるわかる私も」ってレスしていました。高校にいるスクールカースト上位の人たちが嫌いってわけではなかったんですけれど、どうしても「高校」という世界がせまっ苦しくて息苦しくて仕方なかったんですね。

 

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ハッキリ言って生きづらかったです。息をひそめて、存在をできるだけ主張しないように暮らしていましたし、恋愛や文化祭・体育祭で盛り上がる人たちが別世界のように思えました。あ、そうだ、そういえばこのころまで自分のことをAセクシャルだと思っていました。「かっこいい」とか言って人気の男子のかっこよさが全く理解できなかったからです。かといって自分の好みがあるわけでもなく、「自分って同性愛?でも別に女に興味はないし…じゃあAセクシャルか?」とわりと気に悩んだ時期があります。小さなころから「恋愛」というものが本当にわからず、少女漫画を読んでいても「なんでこの人たちはすぐに相手のことを好きになれるんだろう」と不思議でかなわない気持ちになっていました。ちなみにその思いは今でもあります。今は「なんで周りの人たちは簡単に恋愛結婚できるのに自分はできないんだろう…」と思っています。感情が希薄なんでしょうか?

 

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友達が少なくて結構苦労した高校時代でしたし、また容姿について悪口を言う輩が増えてきてうんざりしていたんですが、高2くらいから変わりだします。まず暇な時間がたくさんあるので読書をしまくり、1年で300冊ほど読みました。古典やアメリカ、イギリス文学が多かったように思います。今はほとんど頭に残っていませんが…

あと、当時学年トップを自慢していたやつが大嫌いで、こいつの鼻っ柱を打ち砕いてやろうと思って、勉強に気合を入れなおしました。その結果、高2で学年トップになり、それは卒業まで続きました。「わたし1位なの~」ってクラスメイトに言って回る感じが本当に嫌いで、なんとかしてこいつを首位から叩き落してやろうという怨念で成績を上げましたね。

 

その結果、高2の最初の進路面談では「厳しいんじゃないか」って言われていた大学が、高3の最初の段階ですでに「A」判定が出ました。高3はひたすら受験勉強です。A判定は繰り返し出ていたので、センター試験も無事こなし、第一志望の大学にも合格しました。

 

小中高と学年トップでやってきたので、ASDに併発するLD(学習障害)のたぐいはあまりないんじゃないかな…と思います。文字が読めない、声に出せないということもないですし、左右の判別もつきますし、計算も簡単なものなら暗算でできます。

 

ただASDにありがちな「コミュニケーションが苦手」というのは大学時代になってからも続きました。他人の気持ちがわからないし、自分の気持ちもわからない。余計な一言を言って怒られる。人の関係性がわからなく、失礼なことを言っては怒られる。やるべきことはやらず、やらないでいいことはやって怒られる。そんなことの繰り返しでした。しまいには何をやっても言っても怒られるので、何もせずにひっそり声をひそめておくのが最適解と判断し、ひたすら空気キャラに徹していましたね…

 

だから物心ついたころから「自分は変だ」と思っていたし、高校時代でも「自分は変だ」ということにかなり悩みました。しかし当時はアスペルガー症候群なんて言葉は知らなかったものですから、自分の生育環境などのせいにして、「自分は変わった家庭で育ったからほかの人とは違うんだ、他の人にできて自分にできないことが多いのは、生まれ育った環境が原因なんだ」と思い込もうとしていました。

 

ところが大学生になってから、「やっぱり自分はどう考えてもおかしいんじゃないか」って考えがどんどんと大きくなってきます。そのことは次の記事に書きたいと思います。

 

つづき

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