金曜日の夜をめざして

うつ病とかいろいろ

【座間複数遺体】#自殺募集について、うつ病会社員が思うこと

神奈川県座間市で発生した事件。

www.sankei.com

 

この事件に対して、ネット上では様々な意見が出ています。

その中で多いのが、被害者がツイッターで使った「自殺募集」というハッシュタグに関するコメントです。

 

「簡単に死ぬとか言うな、腹が立つ」「死ぬって言うやつほど死なない」

#自殺募集でツイッター検索をかけると、ツイートがほぼ2種類に分かれました。

被害女性のように「死にたい、一緒に死んでください」と訴えているツイート。

もうひとつは「簡単に死ぬなとか言うな」「自殺とか迷惑」「自己中心的」「死なないでいればいつかいいことがあるから死ぬな」…とにかく「死ぬな」というツイートです。

ツイートを読んでいると、まざまざと「心を病んでいる人」と「そうでない人」の壁の高さを感じさせられました。

「自殺するな」というツイートが、自分の心に全く響いてこなかったからです。

 

「死ぬな」そんなことはわかりきっている

わたしはうつ病を患って2年ですが、何回も「死にたい」と思ったことがあります。

ツイッターで「自殺募集」をしたことはありませんが、ブログに「死にたい」と書いたことなら何回もあります。

怖いので自殺未遂さえしたことありませんが、気軽に死ねるチャンスがあれば死にたいと思ったことは何回もあります。

 

relax-heart.hatenablog.com

 だから「#自殺募集」の人たちを責めているツイートが、共感できないのです。どちらかというと#自殺募集で共感者を募っている人たちの押しつぶされそうな苦しさ、孤独感、もうにっちもさっちもいかなくなっているんだろうという人生の暗さ、重苦しさに共感してしまうのです。

しかし#自殺募集を責めるツイートには「自殺は迷惑だからやめろ」「自殺するやつは腹立つ」「いいことが後からあるかもしれないからやめろ」…このような文言が目立ちます。

はっきり言います。

「死にたい」と思っている人に、このような言葉は何の意味もありません。

「死ぬな」と言われても響きません。「迷惑だからやめろ」と言われても関係ありません。もうそんな常識的な言葉が通じないくらい、当事者は追い詰められているのです。正常な思考ができない状態になっているのです。

そんな人に「自殺したいとか簡単に言うな、腹が立つ」などと言うのは、心を病んでいる人の傷をさらにえぐるどころか、とどめの一撃を打ちかねない行為です。

死んだらいけないということは、とっくにわかっているのです。それでも「死にたい」と思ってしまうのがうつ病の症状の恐ろしさなのです。そしてそれは一部の珍しい「メンヘラ」と呼ばれる人たちだけではなく、いつ誰が襲われてもおかしくないような症状なのです。

じゃあ「死にたい」と言われたら周囲の人はどうすべきなのか、個人的に考えたのは以下の記事です。「死ね」も「死ぬな」も、どちらも効果がないんです。死にたい人には。

 

relax-heart.hatenablog.com

 

 

正論で殴らないで

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命は大事です。命は平等です。命は尊いです。戦争で命を失う国もあります。貧しさで命を失う国もあります。それに比べれば、日本は平和です。ミサイルがいつ飛んでくるかしれませんが、とりあえず今すぐ戦争で死ぬことはありませんし、外を歩いていて地雷を踏んで死ぬこともありません。

命は尊いです。しかし、それは、正しすぎる正論です。そして、そのような言葉で説教をされても、私たちのような心を病んだ者には響かないのです。誤作動を起こした脳には、何を言われても「死にたい」という思考がべったりと張り付いて、離れないのです。そして、その感覚と日夜戦っているのです。薬を飲んだりリハビリしたり、いろいろ方法を尽くしてです。

 

relax-heart.hatenablog.com

 

四六時中、「死にたい」という言葉が頭の中をぐるぐると廻るあの感覚を、健常者は決して理解し得ることはできないでしょう。だからこそ、「命は大事だ」「自殺は迷惑だ」なんて正論を発することができるのでしょう。

 

繰り返しますが命は大事です。尊いです。無駄に失う意味はありません。私は#自殺募集というハッシュタグを肯定しているわけではありません。しかし、このようなハッシュタグを作らざるを得ないほど追いつめられている人を、否定することはできません。

 

メンヘラは特別な存在ではありません。自分だっていつその世界に足を踏み入れるかわかりません。安易に「命は大事だから自殺なんてするな。迷惑だ」とツイートできる人を見ると、「こちら側」との壁の薄さを知らない人なんだな、と思わされます。一言で言って、悲しいです。もう少しだけ、想像力があれば、病識があれば、そのような発言はできないはずです。

 

「死ぬって言うヤツほど死なない」

死にます。

知人は精神病を発症し、友人たちに「死にたい」とメッセージを遺し、自殺しました。遺された人はずっと後悔しています。「あのとき止めていれば」「あのときもっと話を聞いていれば」と悔やみ、今も悪夢に悩まされ、自身も心を病んでしまっています。

死ぬ死ぬ言う人は、「死」との壁が薄いんです。心を病んでしまうと、「生」と「死」の区別があいまいになってしまうのです。そして、それを簡単に飛び越えてしまうのです。それが他人から見たらバカみたいなきっかけだったとしても。

 

今回の事件について、#自殺募集というハッシュタグの是非について論じるつもりはありません。ただ、わざわざ#自殺募集というハッシュタグをつけて「このハッシュタグをなくしましょう!」とツイートしたところで、根本的な問題は何も解決しないのです。心を病んだ人たちの存在は無くなりませんし、死にたい思いは変わりません。

「自殺募集なんてハッシュタグはなくしましょう!」と言っている人は、いったいどういう正義感でものを言っているのでしょうか?ハッシュタグがなくなれば、その人たちの苦しみも一緒に消えてくれるとでも思っているのでしょうか?ちゃんちゃらおかしな話です。そうやって自分の正義で弱い人間の声を押しつぶして、臭いものにはふたをすれば満足なのでしょうか。私には到底納得のいく話ではありません。

 

今回の事件はとても悲しいものでした。

もっと、どうにかならなかったのか、と思うばかりです。

電通の過労死事件にしてもそうですが、本当に、やりきれないです。

「死にたい」の声に冒されてしまった人たちを思うと、自分のことのように胸が痛いです。

 

relax-heart.hatenablog.com

 どうして平和な国に住んでいるのに、私たちは心を病むのでしょう?自分から命を投げうってしまうのでしょう?悲しみから離れられない日々を送ってしまうのでしょう?

きっとそれは、「その人の心が弱いから」なんていう単純な理屈では済まされない問題です。

「死にたい」という思いを抱えながら、私たち精神疾患を持った人は今日も生きています。この先もきっと。

 

 

※ただし、#自殺募集のようなハッシュタグには、今回のように殺人などの事件目的で関与してくる人間が存在する可能性があるので、積極的な使用は私は全く勧めません。