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金曜日の夜をめざして

なにかと生きづらい会社員のブログ

普通に生きるのはとても難しい、というか生きられたためしがない

私は物心ついたころから「生きづらさ」というものを抱えていました。

誰もがそういうものを持っているのかと思っていましたが、生きづらさがない人とある人の2種類に世の中は分かれているようです。わたしはいつも生きづらさがある人と親しくなることが多かったです。共鳴するものがあったのかもしれません。

小さいころから「はみだしもの」

集団生活というのが基本的に大の苦手です。これは物心ついた瞬間からそうだったので、トレーニング不足とかそういう問題じゃないと思います。幼稚園でも一人遊びしていることが多かったし、誰かと遊ぶことはできても、特別親しい仲になることは難しかった。一人で遊んでいる私を先生や親が心配していたのを思い出します。このころからどうも「普通に生きる」ことが困難だった記憶があります。

 

ものすごく疲れてしまう

他人と一緒にいると非常に疲れます。消耗します。もう一人になりたくて仕方がありません。世の中の人たちが結婚とかしていくのを見ると「どうしてみんな、他人と一緒に暮らすストレスに堪えられるんだろう?耐えられない私がおかしいのか」と思ってしまいます。

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人と一緒にいると9割は「疲れた、早く帰りたい、怖い、焦る、不安」などのネガティブな感情です。この感情は非常に私を疲れさせます。何も考えずに人と接することができたなら楽なのですが、そうすると私は意図せず誰かを傷つけてしまったり、不快な思いをさせてしまったりすることが増えてしまいます。ですので、やらかしてしまわないように細心の注意をもって生きていくしかないのです。多大なストレスを伴いながら。

 

精神的に死んでいく

自分の感覚としては「宇宙人であることをばれないように地球人らしくふるまう」というのが、最近の生き方としては適切な表現だと思います。とにかく、自分を自分らしく生きている感じはまったくしないのです。最低限の社会生活をいとなむために、自分に付随する「変な部分」は極力シャットアウトする。普通の人間のふりをする。

この生き方はめちゃくちゃ疲れます。疲れますが、今の生活を続ける限り、この生き方なのでしょう。

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現代社会において「個性的」という言葉がプラスに働くことなんてまずありません。ほとんどの人の個性は他人にとって、社会にとってわずらわしく、排除されるべきもののように思えます。

 

わたしは自分らしく生きると非常に「個性的」になってしまうので、それを押し殺す訓練を何年も続けています。どうも自分が社会で生きていくためには、精神的に死ななければならないようです。自分を生きている感覚がまったくしない。しかし、自分らしく生きようとするその方法すら、今では自分でもよくわかりません。

 

普通に生きることすらかなわない

なぜかうまくいきません。心も体も不調をきたし、社会生活を送ることが難しくなってしまいます。ただ毎日働いて暮らす、それだけのことなのに、普通にやることができません。シンプルなことなのに、うまくいっている実感はありません。自分の失敗ばかりが目につきます。

この生きづらさにはADHDとか双極性障害とか、メンタルや発達障害の問題もからんでいるのかもしれません。今年はそれが課題になるかもしれません。ふたをして押し隠してきた自分のブラックボックスをいよいよ開かなければならない時なのかもしれません。

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普通の人が普通にできる普通のことを、私も普通にやりたかった。

だけどそんな人生は、もう望めないのかもしれません。