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金曜日の夜をめざして

なにかと生きづらい双極性障害グレーうつ病会社員のブログ

死ぬ気でやるな、死ぬから

思うこと

死ぬ気でやれよ、死なないから。

こんな言葉が名言として取り上げられることがあります。

個人的にはこの言葉、とても嫌いです。

死ぬ気でやると、人は死にます。

追い詰められた人間は、死にます。

死ぬ気でやらないといけない仕組みや環境がおかしいのであって、死ぬ気でやる必要などないと思います。

自殺、自殺未遂した人たち

私の周辺には自殺既遂した人、自殺未遂した人が何人もいます。

思うのですが、自殺企図をする人たちというのは本当にまじめというか、実行力があると思います。

死のうと思うと本当に大変じゃないですか。よくわかんないけど、準備だって必要じゃないですか。

そんな面倒くさいことをこつこつやってまで「死にたい」「死んでしまおう」とした人って本当に、まじめ。本当に、一所懸命だったのだと思います。

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私が知る、死のうとした人たちは、みな痛々しいほどまじめで、人生に対して一所懸命で、それゆえに打たれ弱く、周りの環境変化に馴染めなかったり、他人の悪意に簡単に傷ついてしまう人たちでした。

このような人たちは、本当に「死ぬ気」で生きていたんだと思います。それゆえに、本当に死んでしまった。

 

「死ぬ気でやれよ」と言った人たちは生きている

死ぬ気でやれよ、死なないから。

それを言える人たちは、生きています。

死ぬ気でやって本当に死んでしまった人たちの声は、聞こえません。

死人に口なしです。

このようなことを思うにつけ、いい加減に生きるのが人生を楽に乗りこなすこつなのだろうと思います。

周りを気にしたり、他人を不快にさせたりしていないかを気にしている人生は、とても面倒くさく、自分の人生を生きている感じがしません。

憎まれっ子世に憚る、と言います。結局、自分のやりたいようにふるまって、人がどう思うかも考えたりせず、迷惑をかけたり他人を苦しませたりしても罪悪感を持たない人間がのぼりつめて、のうのうと生きていけるということです。「弱肉強食」とはこういうことだと思います。生き残るのは「死ぬ気でやれ」を聞き流して、なあなあで生きていける人たち。「死ぬ気でやれ」を真に受けて生きる人は、病んでしまうのかもしれません。

 

真面目=物事を字面通りに受け通る

まじめというのは誉め言葉のようにもとれるし、揶揄する言葉のようにも受け取れます。とりあえず、まじめというのは「物事を字面通りに受け取る」ことだと私は解釈しています。「こういうことはしてはいけません」と言われたら、「そうか、こういうことはしてはいけないんだな」と受け取る。物事を疑わない、ほかの角度から見てみようとしない、という弱点があるとも言えます。

このような人たちには「死ぬ気でやれよ」のような言葉は禁句だと思います。ただでさえ自分を消耗させて生きているような人たちにさらに追い打ちをかけかねません。

いい加減な人というのは、他人の言葉を聞き流す能力があります。それは決して悪いことばかりではなく、「他人の言葉に惑わされない」「他人の声より自分の感覚を信じる」という長所もあるのでしょう。

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わたしはまじめに生きてしまいがちです。他人の言葉をうのみにしてしまいがちだし、物事を多面的に見るのが苦手です。それで痛い目にあったこともありますし、死ぬかもしれないと思うほどつらい思いをしたこともあります。自殺こそしなかったものの、死ぬか生きるかの瀬戸際を経験したことは確かです。

 

自分がまじめな性格という自覚がある方は、「死ぬ気でやれよ」みたいな言葉は適当に受け流す練習をしたほうがいいのかもしれません。ああいう言葉は、まじめな人には劇薬になりうるのかもしれません。