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金曜日の夜をめざして

うつ病とかいろいろ

大多数であろう「天才ではない」発達障害、精神障碍者について

アスペルガー症候群ADHDなどの発達障害が取り上げられるとき、彼らが「天才」として扱われることがあります。非常に記憶力が高い、絵を描く能力が高い、芸術、美術、文学の能力に長けている…常人離れした彼らの能力を「天才」と呼ぶことは、不適切な行為ではないでしょう。

しかし、彼らの中にそういう天才的な能力を持つからと言って「発達障害=天才」という表現をするのはどうかと思います。突出している人たちが目立つだけであって、多くの人たちは単なる社会不適合者として扱われているんじゃないでしょうか。

一部の「天才」の裏にいる「天才じゃない」人たち

たとえば双極性障害にしてもそうです。

多くの芸術家は双極性障害だった可能性がある!だから双極性障害は「天才病」なんだ!……などと言う人もいます。

たしかに例示された芸術家たちの特徴は双極性障害の症状と類似していますし、彼ら天才が双極性障害である可能性は低くはないのでしょう。

 

しかし、「芸術家が双極性障害だった」ということと、「一般的な双極性障害患者も天才的な芸術性がある」をひもづけることはできないでしょう。多くの患者にとって病気とはただの病気であり、特殊能力ではありません。一部の突出した人たちの力があまりにも目立つために「ある精神障害発達障害を持つ人たちの中に、天才的な能力を持つ人がいる」ばかりが前に立ち、「そうではない、現代社会では生存していくことがとても難しい人たち」がないがしろにされてやいないか、と私は疑念を持ちます。

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アスペルガー症候群の人で若くして天才的な記憶力、技術力を有する人がマスコミで取り上げられ「障害も個性の一部なんだ!」という結論でしめくくられることがあります。

いや。それは違うでしょう。

彼らの個性が「社会的に評価される」「カネになる能力である」「メディアに好まれやすい形で表出している」から好意的に受け取られているだけです。

実際、メディアに写されない大多数の発達障害持ちの人たちは、「障害も個性の一部」なんてなまぬるい言葉じゃすまない生活を送っているんじゃないでしょうか。

 

個性を否定することでしか生存できない人たち

私は双極性障害グレーのうつ病患者です。

主治医は「ほぼ双極性障害」と言っています。

小さいころから生きづらく、自分らしくふるまえばふるまうほど親に嫌われ、先生に嫌われ、友達は遠ざかっていきました。

「自分らしく生きる」ことが社会的な死を意味することを幼くして知った私は、「自分らしさを消す」ことを人生のポリシーにしました。

自分らしく生きていこう、と平気で言える人たちがうらやましいです。何をやらせても裏目に出るわたしには、自信をもって表に出せる自分らしさがありません。

他人の気持ちがわからず、集団の意図がわからず、「どうして普通の人たちはあんなことができるのか」といつも驚異的な気持ちをもって生きていました。

私もまた、大多数の「天才ではない」発達障害を持つ人間なのかもしれません。

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自分らしく生きること=社会的・経済的に安定した生活を送ること、ではないことを知った私は、興味のないことを勉強し、興味のないことを仕事にし、興味のないことに費やした時間から得たお金で生活しています。個性的に生きることが、今までいい結果をもたらしたことがなかったからです。

 

これからも自分を押し殺して生きていかなければならないのでしょうか。行く先はよくわかりませんが、とりあえず、メディアでよく見る「天才的な発達障碍者」が世の発達障碍者の全員にあてはまるわけじゃないってことは、もっと広く知られたほうがいいんじゃないかって思います。

自分を押し殺す訓練を10年単位で続けて、ようやく社会の中で擬態している私のような人間もいますので。