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金曜日の夜をめざして

なにかと生きづらい双極性障害グレーうつ病会社員のブログ

友人の結婚に孤独を思う

思うこと

友人が結婚しました。

それを知ったのはSNS上でした。

恋人がいるのは知っていましたが、まさか結婚するとは。

社会人になってから、結婚の知らせをよく聞きます。

ああ、自分はもうそんな年なのだ、と思い知らされます。

孤独

誰かが結婚した、と聞くたびにわたしは、自分の孤独を実感します。

別にその誰かが結婚したからと言って、わたしの生活は変わらないのです。

わたしはうつの治療をしながら働いて、毎日生きていく。

結婚した人は、結婚相手と一緒の暮らしを毎日していく。

ただそれだけのことです。

わたしと彼らの人生は交わらない。

彼らが結婚したからといって、わたしの人生に何かがもたらされるわけではない。

それはわかっているのですが、わたしは、誰かの結婚の話を聞くたびに自分の孤独さを知ります。

スポットライトが当たる誰かを見るたびに、自分が何も持っていない事実を改めて突き付けられたような気分になります。

眼をそらしていても、変わることのない現実。

同世代が結婚していき、人生のステージを進めていく。

その一方、わたしは進むどころか、病気で後退していく。

誰かの結婚の知らせを聞くたびに、その「差」を感じて、わたしは悲しくなるのです。

 

誰かの幸せを喜べるゆとりなどない

率直に言えば、そうです。

だって、そうでしょう。

自分が生きるか死ぬかで毎日ぜいぜい言っているのに、他人の幸せを喜ぶ余裕なんてあるわけないでしょう。当たり前です。

招待された式はすべて断っています。

昔参加しましたが、参加した後ひどい発作を起こしてうつ状態が悪化したので、それ以来その手の席には参加しないようにしています。参加しない、というより、参加できない、といったほうが正しいのかもしれません。

 

なかには、自分がつらいときでも誰かの幸せを祝福できる心の広い人がいるかもしれません。わたしはそういう人のことを心底すごいなあと思います。わたしは自分より幸せな人間を見ると腹が立ちます。引きずり下ろしたくて仕方ありません。どうしてわたしが苦しんでいる横で彼らは幸せそうにしていられるのか。その理不尽に腹が立って仕方ありません。

心が狭いでしょう。だけど、仕方ないではありませんか。自分がうつで動けなくなっている横で、平然と人生のステージを進めている人に対してわたしができるのは、呪詛の言葉をつぶやくことくらいです。それが効果をもつかどうかなんてどうでもいいことです。毒づかずにはいられないのです。どうして自分はうつになって、薬漬けになって、苦しい人生に堕ちなければならなかったのか。

人生って、つらいですね。しんどいですね。「このつらさを耐えた先に、いいことがあるのだ」その可能性だけを信じて、今は生きています。可能性が絶たれたときこそ、わたしは生きる意味を見失うのでしょう。

来年の今日、わたしは生きているでしょうか。今はそれさえわかりません。