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金曜日の夜をめざして

なにかと生きづらい双極性障害グレーうつ病会社員のブログ

うつ病の私がつらくても会社に行く理由。「ゼロ」と「ゼロじゃない」のちがいはとても大きい

思うこと

メンヘラ会社員のもみじです。

うつ病と闘いながら社会人生活しています。

昨日は仕事納めでした。

死にそうになりながらなんとか乗り越えたこの1年。

まだ終わったわけではありませんが、とりあえずもう今年は会社に行かなくていいのだ、と思うと一安心です。

会社に行きたくない

本音を言うと、きのうもおとといも会社に行きたくありませんでした。

会社に行きたい人なんていないでしょうけど。

体が重く、生理痛がひどく、死にたみも非常に強かった。

抗うつ薬を飲んでもさっぱりよくならず、体の震えも止まらなかった。

「休んじゃえば?」

「どうせ有休残ってるんだし、使わないと損だよ」

そういう自分の声が聞こえました。

たしかに、有休は残っています。

放置していると消えるタイプの有休ですので、使わないと損です。

わたしは現在、期限が迫られている仕事や、主担当の仕事がありません。

ですので、わたしが数日消えたところで、職場には何の支障もありません。

いてもいなくても構わないポジション。そこにいるのがわたしです。

なので、なんならきのうも休んでしまって、そのまま年末年始の休みに移行してしまってもよかったのです。

 

会社に行けなくなるのが怖い

しかし、きのうは会社に行きました。

これは仕事が残っているからとか、まわりに迷惑をかけるからとか、そういった理由ではありません。

「会社に行けなくなるのが怖かった」からです。

長い休み明け、会社に行くのが憂鬱になるでしょう。

わたしはあれが怖いのです。

休むことが定常化してしまったら、働くというモードに切り替えるのに非常に負担がかかる。

健康な人でも仕事に戻るのは負荷がかかることなのに、わたしのように心も体も病んでいる人間が、会社に行くことから逃げてしまったら、本当にずっと会社に行けなくなるかもしれない。逃げくせがついてしまうのかもしれない。それが怖かったのです。

 

本当に怖いのは、「会社に行くこと」ではありません。

「何かが大きく変わること」です。

わたしのすべては、ライフスタイルに左右されます。

休みの日でさえ体調を崩します。

「休む」ということさえ、ストレスになります。何かが大きく変わるのは、それだけでつらいのです。

 

「会社に行かない」か「会社に行かなかったわけじゃない」の違い

仕事をしなければ会社に行った意味がない、という人もいるでしょう。

しかし、わたしはそうは思いません。

会社に行くだけで、大きな意味があると思います。

これは「従業員として」というか「病人として」という意味です。

もちろん従業員としても、会社に出勤している、という事実は大きな意味を持ちます。たとえ社内ニートであろうと、社屋の中で存在している、フルタイムで働いている(かのように見える)のは大きな意味があります。

自分の部屋ではない、社会的空間に自分の身を置き、他者の目にさらされながら1日中過ごす。うつ病の人ならわかると思いますが、これめちゃくちゃつらいです。わたしはこれができるだけで、自分がとんでもない努力をしていると実感します。仕事の成果なんて二の次、三の次です。まずは出勤すること、そして一日会社にいること。

それだけで、リハビリとして大きな意味があると思います。

 

「会社に行った」「会社に行かなかった」これは天地の違いがあると思います。

「会社に行ったけど何もしなかった」「会社に行って、仕事をした」正直これは、そんなに違いがないと思います。

どうしてそう思うかというと、「1を10にする負担」より「0を1にする負担」のほうが、はるかに大きいとわたしは思うからです。

精神的・肉体的な地盤がぐじゃぐじゃな状態で、なんとかそれでも自分の調子を整えて会社に行く。この「0を0じゃない状態にする」という作業が、わたしは最も負担がかかる、つらいことだと思っています。

会社に行く前はめちゃくちゃ嫌だったけど、会社に行ったらまあなんとかなった、なんてこと、よくあるじゃないですか。ああいうことだと思います。行けばなんとかなるんです。一番の問題は「行く」ことです。うつ病の人の大半は、この「行く」でつまずくのですが…

 

わたしがつらくても会社に行く理由は、「ゼロに戻る」ことを防ぐため、です。会社を休む日々が続いてしまったら、いつしか会社に行くための体力も精神力も、尽き果ててしまうかもしれない。そうなるのが怖くて、日々会社に行くのです。しんどくても、つらくても。積み上げたものを失いたくないのです。

 

「ゼロ」か「ゼロじゃない」には非常に大きな違いがあると思います。