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金曜日の夜をめざして

なにかと生きづらい双極性障害グレーうつ病会社員のブログ

うつ病は怠け、と言われたらやっていられない

思うこと

うつ病はなまけ、という偏見があります。

だるい、つらい、そんなの誰にでもあることじゃないか。

みんなつらいの我慢してがんばっているんだよ。

だからおまえも甘えるな、なまけるな。

つらいことから逃げるな、がんばれ、戦え…

こんなところでしょうか。うつ病はなまけって言う人たちの意見って。

もうほんと、しんどいんですよね。

うつ病はなまけ、って言われるのほんとつらいんですよね。

私もそう思っていた

そういうわたしも、うつはなまけって思っていました。

自分がうつ病になるまでは。

うつなんて心の弱い人がなるものだと思っていました。

つらいことからすぐに逃げる根性のない人がかかる病気だと思っていました。

わたしはそれまでの人生で、逃げ癖がないほうでした。

つらいことにも真正面から取り組み、課題を解決させてきた人間でした。

ですので、うつに関してもなまけ病としか思っていませんでした。

つらいことから逃げたい人の言い訳としか思っていませんでした。

つらいことから逃げない自分は、うつ病にはならないと思っていました。

勘違いでした。

つらいことから逃げなかったために、わたしはうつ病になりました。

つらいことに正面向いて取り組んだため、わたしは身も心もぼろぼろになり、通常業務さえおぼつかない状態になりました。

 

なまけとうつ病の違い

自分なりに考えてみました。

なまけとうつ病を分けるもの。それはなんだろう、と自身の経験やうつ病の一般論から考えてみました。

それは「やる気を出し入れできるかどうか」だと思います。

なまけは「なまけようと思ってなまけている」わけですよね。つまり、やる気を出し惜しみしている。逆に言えば、やる気を出そうとすれば出せるわけです。面倒くさいこと、つらいことにも、「やる気」を出そうと思えば出せる。

 

うつは「やる気の出し入れ」ができません。というか、やる気そのものがありません。

ないものを出すことができません。うつに足りないのは、活力です。生きるエネルギーです。何もかもが面倒くさく思え、やる気を出そうにも、すでに枯渇しているので、着手することができない。

何もできない自分に嫌気がさし、自責感が強まり、日常生活さえ安穏に過ごすことができなくなります。日常生活を過ごすやる気さえ「ない」んですから。

 

なまけという誹りにおびえて生きている

わたしは会社員として毎日働いています。

うつ病は治っておらず、日に日に悪化している気がしますが、とにかく毎日働いています。仕事をしています。

その裏で「うつ病なんてなまけだよね」という指摘に強くおびえています。怒りを感じてもいます。

こんなに苦しい思いをしながら毎日生きているというのに、それさえ「なまけ」と言われたら、我々の存在は認めてもらえないも同然じゃないですか。

毎日死ぬ思いで起床し、吐きながら仕事をし、大量に薬を飲んで寝る。そんな日々を繰り返している人間の人生が「なまけ」「怠惰」「甘え」だと言う人がいるのならば、その人の脳みそのセロトニンをすべて奪い取ってやりたいです。わたしの目に見えている世界の暗さを見せつけてやりたいです。

 

うつは目に見える病気ではなく、診断基準もあいまいです。ですので仮病が簡単にできる病気です。わたしはうつを騙る人間が大嫌いです。彼らがうつのイメージを悪くしているのだとすれば、本当にやりきれない気持ちになります。うつだって、ほかの病気のように、血液検査で鑑別がつくようになればいいのに。「高血圧」だの「高血糖」だのは平気で口にされる一方、うつに関しては、口にするだけで「気のせいじゃないのか」「そういうのは甘えだ」「誰にだってあるよ」で片づけられてしまうやりきれなさ。本当につらく、許しがたいことのように思えます。本人にとってはまぎれもなく病的なのに、それを第三者に伝えることはできないもどかしさ。

 

前の記事でも書きましたが、本当に年末年始くらいメンヘラ休みたいんです。病気から解放されてゆっくりと過ごしたい。「なまけ」の人たちなら、嬉々として休むでしょう。休めるのでしょう。

年が変わったくらいでうつ病は治りません。夏休みも冬休みもありません。毎日何種類もの薬を流し込んで、ようやく人の生活を擬態できるレベルにまで無理やり調整しています。今年中に、今のような状態から脱却できるようになればいいのですが。