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金曜日の夜をめざして

うつ病とかいろいろ

うつの症状より「理解されない」ことのほうがつらいのかもしれない

うつ病会社員のもみじです。

 

うつ病の治療をしながら会社員として働いています。

うつ病なわけですから、当然うつの症状にも苦しみます。

今日もしんどかったです。日に日に予測のつかない体調の変化に見舞われ、とてもしんどい目に遭います。

鬱の症状はもちろんつらい

もちろん、うつそのものの症状は非常にしんどいです。

たとえるなら、わたしだけ非常に大きな重力で地面にたたきつけられようとしているかのよう。

それに必死で抗って立っているのが、うつ病人の「立っている」イメージに近いものだと思ってください。

ですので、うつだと「普通はできてあたりまえ」ないろんなことが大変になります。

仕事に行くだけで本当に消耗しますし、少しの距離を歩くだけで必要以上に疲れます。

うつが非常にひどい状態になると「息することさえつらい」状態になります。10センチ先のスマホに手を伸ばすことすら面倒くさく、ひたすら寝逃げする。そんな状態になります。わたしは毎朝、こういう状態に陥りながらも、ぎりぎりのラインを保ってどうにか会社員をやっています。本当に、毎日が命がけの綱渡りです。どうしてもっとこう生きやすい社会になってくれないものなのか…

 

理解されない、と思うこともつらい

ただ、その症状だけがしんどいわけではなく、「その症状を説明したところで、この人には理解されないんだろうな」そう思うことが、いっそう絶望感を増幅させ、自分がうつであることの罪悪感を大きくさせているような気がします。

 

骨が折れたらわかりやすいですよね。松葉づえをしたり、包帯を巻いたり。

「あ、この人は骨が折れてるから歩きづらいんだな。だから近くを通る時には注意してあげないといけないし、ものを取りづらそうにしていたら代わりに取ってあげよう」と、健常者でも想像ができます。

 

ただ、これが「うつ」だとそうはいきません。

わたしはうつです、と顔に書いているわけではありませんから。普通の顔をして街を歩いている人がうつ、ということだってよくあります(ガチ中のガチのうつなら、街で見かけること自体珍しいですが…)

 

うつだと「普通はできてあたりまえのこと」ができません。

家事、食事、入浴、出勤、仕事、会話、そのほかもろもろ……

人間が行う活動の大部分ができなくなります。「つらい」「だるい」「しんどい」に思考と感情を支配され、一切の建設的な行動がとれなくなります。

 

かといって、それが第三者に伝わっているかと言うと、そうではないと私は思うのです。

 

 

自分がうつだと、第三者には伝わらない。

これがうつのしんどさのひとつだと思います。

 

かまってちゃんになってしまうこともある

うつを患っていると、時折かまってちゃんになります。

 

自分のしんどさをわかってほしくて必要以上にまわりに言ってまわってしまうことがあります。よくないことだとわかっていますがどうしてもつらくて…止められないことがあります。

 

「わたしはうつです」シールがほしいわけではありませんが、体調がよくない理由を毎回「うつです」と言うわけにもいきませんし、うまいことごまかして生きていけないものかなあって思います。

うつにも見た目にわかりやすいシグナルがあってそれが認知されたなら、「うつ」に対して無意味に厳しい視線を向けられずにすむかもしれないのに。

 

なんでもかんでも「うつは甘え」って言われたらつらくもなりますよ。

このつらさが「甘え」という言葉でかたづくなんて、到底信じられません。

毎日が、生きるか死ぬかの瀬戸際です。

ボーダーライン上で必死で生きている人間の存在を、もっと肌身に感じてもらえたらなあって思います。