金曜日の夜をめざして

一人暮らしのリハビリ中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

アセクシャルと恋愛感情が無いこととLGBTの話

前にもこのブログに書いたのですが、わたしは多分アセクシャル(無性愛)です。多分というのがまたあやふやなんですけど、別に病気でもないし、医者に診断してもらうものでもありません。自己申告で自分をカテゴライズするのであればアセクシャルという言葉が1番当てはまります。今のところは、です。

 

好きになれる人がいなかった

なぜ人間は他人を好きになれるんだろう、他人をパートナーにしたがるんだろう、それが古くからの疑問でした。それは生物の本能で当たり前のことなんだと言われたらそれまでなのですが、わたしにとってはどうにも奇妙な現象に思えた。

 

たとえばかっこいい人がいたとしても「かっこいいなあ」と思う。そこから先には進まない。他の人はそうではないらしい、自分のものにしたがるらしい。その感覚がいまだにわからなくて、自分はいったいなんなんだ?といろいろ調べてるうちにアセクシャルにたどり着きました。確定事項ではありませんが、これ以上に共感する表現はありません。

 

学生時代によくある恋バナとかも非常に苦手だったし、なぜそんな話を延々とできるのか、クラスの誰が好きかとか、それで盛り上がるのかがよくわからなかった。人気のある人はたしかにカッコいいのかもしれないけど、それで本格的に恋愛感情を持つことがなかった。謎です。

 

まだ出会ってないだけだよ

よく言われるのはこの言葉です。そりゃ学生とか若い人にはそういえばごまかせますけど、こっちはアラサーでもう自己というものも形成されているわけで…

恋愛という人なら普通にすることがやっぱりよくわかんなくて、お試しで交際したりもしましたが、結局よくわからないまま別れました。いい人に出逢えば人生変わるんでしょうか?でもまず自分が発達障害精神疾患のハンデ持ちだから、そんなの相手してくれる優しい人はそうそういないでしょう。

 

人の美醜がわからない訳ではなく、俳優やアイドルを見てカッコイイとは思います。しかしそれ以上のなにかはない。現実でもそう。薄い膜が張られたように遠い世界に思えて、妙な感じです。なんでみんなスイスイと人を好きになれるんだろう?首をかしげてしまいます。

 

「ない」の証明は難しい

アセクシャルはLGBTQAのAに該当するそうですが、セクマイの中でもちょっと種類の違うものなのかもしれません。わかりやすくいえばゲイ=男性を「愛する」男性、レズビアン=女性を「愛する」女性ですよね。「愛する」ことの証明は比較的簡単ですが、「愛しない」ことというのは証明が難しい。まだ出会ってないだけじゃないの?他人に興味がないだけなんじゃないの?もっと出会う努力しなよ。

 

そう言われるとこちらもどうにも否定しづらい。私は人を愛せないんだ、と言うととんでもなく残酷な人間のように思える。そしてどこかにいるのかもしれない「運命の人」を探す努力もせずに諦めていると思ってしまう。一昔前の草食系とでもいいましょうか。もっとガツガツしないとダメだよ!と言われる。

 

しかし…やっぱりなんか違うんですよね。アセクシャルの本を読んでて共感する部分が多い。スキンシップ嫌いは自閉症スペクトラムに多いとかね。ドンピシャですよね…わたしはスキンシップが本当に本当に嫌いで、手を繋ぐのさえ吐き気がするのでマジで病気というかカウンセリングが必要かもしれません。

 

一時期はあまりにも恋愛ができないので自分はレズビアンなのではないか?と疑ったこともありました。でも可愛い女の子を見てもどうこうしたいとは思わなかったから、やっぱり違うなと思いました。

 

そして「女の子扱い」されることに強く違和感を持ちました。自分のジェンダーが女であるのは納得しているけど、他者から女と扱われるのは凄く変な感じがする。パンプスもワンピースも別に嫌ではないけど、誰かに褒められるためにそれを着るわけでもない。

 

変な感じが昔からずっとあります。言葉にしづらいし、他のセクシャルマイノリティと違って「ない」ことを示す属性というのは、なかなか難しいものです。当事者からしたら「ない」としか言いようがないのですが、たぶん大多数からすると「なんだそりゃ」なんだと思います。

 

人をちゃんと好きになる感覚を持ってないというか、その能力が極めて弱いというのか。嗅覚が非常に鈍いんだと思います。そしてパーソナルスペースが広い。男であれ女であれ近づいてこられると生理的嫌悪感がある。これが何故なのか、発達障害ゆえの過敏性なのかは知りませんが、これを克服しないと恋愛どころじゃないだろう…と思います。

 

彼氏よりパートナーが欲しい

ここ数年やたらと周りが結婚していきます。アラサーともなると当然でしょう。最初は悔しかったし羨ましかったけど、もう諦めてきました。

 

わたしはとんでもなく性格が悪いし、双極性障害で気分はコロコロ変わるし、発達障害でうまく生きられないし、こんなんがスムーズに結婚できたら逆に奇跡だと思います。親も前まではごちゃごちゃ言ってきましたが最近は無言です。とりあえず病気治して仕事についてからの話だ、ということです。

 

ときめくことができない体(脳)なのだろうと思います。アラサーになるまでその感覚がないのだから、多分この先もないのであろう。しかしアセクシャルだからといって、なにか訴えたいことがあるわけでもない。他のセクマイと違って同性婚とかの推進運動をするわけでもない(わたしは同性婚に賛成です)恋愛をしない自由を訴えるというのも変な話ですし、せいぜい右手の中指に黒いリングをはめることくらいでしょうか。

 

実社会で害を感じているわけではないのですが、時折「??」となってしまいます。フィクションの中の恋愛はなんとか理解できる。でも現実にそれを持ち込まれるとなぜか異様な違和感がある。他人と接することに猛烈な嫌悪感がある。当たり前にふられる恋愛トークに「とくに言うことないんだけどなあ」という気分になる。

そういや「バリア強いよね」と言われたこともあります。いま思えば、変なやつって意味だったんでしょう。

 

この先だれかを好きになることがあったとしても、それは恋愛的な意味ではなく、友愛的なそれなんじゃないかと思います。ときめく関係はよくわからんから、一緒にいてラクな人をひたすら探す必要がある。ここまで気難しい自分でも付き合ってくれる仏のように優しい人を見つけなければならない。厳しい。

 

将来のことを考えてもよくわかりません。子どもができるとも限らないし。だとしたら今飲んでるリチウムとかは切るから頭混乱必至だし。そもそも結婚できるかもよくわからない。友達はすごい勢いで結婚したけど自分がその波に乗れるわけもなく、波打ち際でバタ足状態です。

 

ただなんとなく、もう「人を好きになる」感覚は理解しないままこのまま生きていくのだろうと思います。友情や尊敬は理解できるけど、恋愛感情を持つことは無い。他人がそれを持つのはわかるけど、自分はそれには該当しない。

 

人を好きになるのがあまりにも苦手、人を好きになる能力が弱い、そういう状態にあえて名前をつけるなら、アセクシャルなのだと思います。

 

とくに実害はないので別にいいのですが、理解者がいないとなんとなく寂しいものです。同じように思ってるアセクシャルもしくはアセクシャル予備軍とかいないでしょうか。「出会いがないだけだよ」と言われて違和感を覚えるあの感じを共有できたら嬉しいんですけどね。

普通じゃないことと発達障害と過剰適応について

変わってる子だね、個性的だね、ユニークだね、独特の視点があるね。

ちょっと普通じゃないよね。人の気持ちがわからないのかな。想像力ってものを使えないのかな。普通人間ってこうするよね、なんであなたはそうなの?

ちょっとおかしいんじゃないの?

昔から言われてきました。普通じゃないと。今の私を「普通」と言う人は結構います。私のことを良く知りもしない人から「普通じゃん、気にする必要ないよ」とか無責任なことを言われることもあります。しかしそういうことじゃない。普通に見えたとしても、私が感じている苦しさはそういうことでは解消されないのです。

 

普通じゃない自分のままでは生きていられなかった

昔からずっと普通になりたかった。普通であることが普通の人間になりたかった。ずっと執着しています。今だってそうです。普通であることが当たり前の世界に生まれたらどんだけよかったか、毎日のように苦しい思いをしています。普通じゃないと言われることが異常に怖くて、びくびく過ごしています。しかし普通じゃないかと言われたら言われたで「こっちのことも良く知らないくせに」といらだってしまいます。自分勝手なものです。

私はアスペルガーADHD両方の性質を持っていて、いわゆる発達障害です。今トレンドの言葉ですよね。子供が発達障害だったらどうしよう、そう悩む親御さんも多いんじゃないでしょうか。本屋を見るといい加減な本がたくさんあります。「これを食べさせたら発達障害が治る」とかね。バカじゃないのって思います。そんなんで治るなら苦労してないわ。

私が生まれたころはまだ発達障害の認知度が低かったので、いわゆる「変な子」扱いで済まされていました。ごっこ遊びができなかったり集団になじめなかったり異様に手先が不器用で居残らされたり、幼少期を振り返るとそんなのばっかりです。

でも、本当に嫌だったのはコミュニケーションができないとか運動が苦手とかそういうことじゃないんです。それによって「どうしてこの子はこんなに出来ない子なんですか?」という目を向けられることです。

自分は自分のやりたいように、思ったように、信じたように行動しているはずなのに、その全部が「おかしいでしょ」と否定されること、これがものすごく苦痛でした。

なぜ外で遊ぶ子が良い子なのか、なぜよく笑う子が良い子なのか、なぜかけっこが早い子が良い子なのか、そうじゃない子は「変わってる」とその都度言われなければならないのか。理不尽と感じることばかりでした。

発達障害の特徴は幼少期に一番現れるそうなので、おそらく幼稚園~小学校のころのエピソードがサンプルになるでしょう。今ふりかえっても、言葉に尽くせないくらいおかしな子でした。自分が親だったら発狂して投げ出したくなるくらいおかしい子です。よく育児ブログとかで出てくる「かわいらしい子供のしぐさ」「お母さんへの愛情を示す言葉」なんてのが、本当にわからない。スキンシップ大嫌いなのが発達障害の特徴のひとつらしいですが、それも該当します。普通の子供のパターンに当てはめられないことが非常に多かった(幸い? それを責めるような家族ではなかった)。

そして「おかしい」と言われても何がおかしいのかわからない。どう直したらいいのかわからない。他人が何を喜び何に悲しむのかわからない。だからなんとコミュニケーションを取ればいいのかわからない。何をしても火に油を注いでしまう。じゃあ黙っているしかないじゃないか。

根深い自己否定はこのころからありました。さいころで6が出ることを祈っても毎回毎回1が出る。確率的にはそんなのありえないのに、自分に限ってはそういうことばかり起きる。他人はどんどん先に進んでいく。そういう虚しさを感じていました。

「普通じゃない」ことそのものが辛いのではなく、それを他人に受容されることはないこと、社会で生きるためには「普通じゃない」存在は求めらないことを知ったのが非常に大きなショックでした。

 

社会に溶け込むために過剰適応を始めた

そんなこんなで10代が終わるころまでは「普通じゃない」レッテルを貼られ続けて生きていきました。自分でもその自覚はあったし、もう何をやっても言われても白い目で見られるし、わけもわからず嫌われるし、うんざりしていました。そのころネットで検索していたら「アスペルガー」という言葉を見つけて、もしかしたら自分ってこれなんじゃ…?と疑い始めました(病院には行かなかったけど、結局この予感は的中していました)

そしてアスペルガーがいかに周囲に迷惑をかける存在であるかを目の当たりにし、今までの自分のやらかしを思い出し、たくさんの人を不快にさせてきた事実に後悔しました。おそらく思い当たることの10倍以上は迷惑をかけています。まだ大学も出ていない歳でそれだけ迷惑をかけているのなら、この先もっと生きにくくなる。「普通の人」が大多数の社会で生きていくのであれば、少しでも擬態しなければならない。そう思い、普通の人の真似を始めました。

具体的には「自分の思ったことは一切言わない」ことを徹底しました。なぜなら、自分の言ったことは十中八九言わなくてもいいことだからです。たとえば「前髪切りすぎてるじゃん」とか「ネックレス似合ってないよ」とか「パンプスのかかとボロボロだよ」とか。そういうことを個人的に言うならともかく、集団で言ったりしてめちゃくちゃ怒られたり無視されたりしました。当然ですよね。とにかく口を噤む。自分の思ってること、言いたいことは、相手が望むものではない。これを何度も言い聞かせました。

そしてコミュニケーションがうまい人の真似をする。どうも聞き上手の人が多いようなので、あいづちや表情などを作って、相手が話しやすいようにしました。どうも自分は声が平たんで無表情になりがちで感情が読めないと言われます。テレビに出ていたアスペルガーの方の顔と話し方があまりにも自分と同じでびっくりした記憶もあります。とにかく人間の真似をする。今まで何ひとつ身に着けてこなかった人間としてのしぐさを必死に習得する。それは何年も続きました。

これもひとつの「過剰適応」だったんだと思います。人間の社会の中では人間としてのふるまいを求められる。それができない人は集団の和に入ることは許されない。そういうことをようやく自分でも認識して、普通の人であるかのようなお面を制作することにしました。最初は苦しかったです。自分じゃない何かを演じている気味悪さがつきまといますし、でもそうじゃないと生きていけないし、「自分らしさなんていらないから、人間らしくいなきゃ」と毎日必死でした。それは今まで迷惑をかけた人への贖罪でもあり、今後少しでも生きやすくしたい自分の傲慢でもあります。

 

肉を食べるシマウマ

今でも思い出すトラウマ的記憶として学生時代のバイト先があります。接客業で手を細かく動かすものだったんですが、まあ向いてなかった。そこの店長には毎日のようにいびられて、メンタル豆腐ですぐに落ち込んでしまって、ある日には「死にたいなあ」と踏切でずっと立っていました。

バイトじたいがしんどいのではなく「こんなこともできないのか」「なぜほかの人にできることがこんなにも難しいのか」という自分への絶望からでした。

もしかしたら双極性障害のうつエピソードもここに入るのかもしれません(その後は軽躁バリバリが始まったので)

人格否定まがいのことを毎日言われたのですが、やはりきついのは「どうしてほかの人みたいにできないの?」「普通こうするよね?なんで想像して動けないの?」「察するってわかる?こういうときお客様はこういうこと思ってるんだな、こうしてほしいんだなって、普通察するよね?」「今までどうやって生きてきたの?どうしてそんなに他人の気持ちがわからないの?」「もっとこう、人間らしくなろうよ。機械じゃないんだから」

過剰適応の最中ではあったのですが、上記のことを言われると「ああ、まだダメなんだ」「人間になれてないんだ」と落ち込み、必死にコミュニケーションの本を読み、鏡の前で表情をつくりました。テレビ番組の芸能人を見て話し方をまねしたり、リアクションを参考にしたり、ちっとも興味が無いけど人気の漫画を読んだり。人間とはかくあるべき、という定義を探して、ずっと練習を続けています。今もそうです。「浮世離れしている」と言われることが多くて、遠回しに嫌味なんだろうかと疑心暗鬼になって、誰かを不快にさせてるんだろうなと自己嫌悪します。もう障害なんでどうしようもないんですけどね…

バイト先でぼろくそ言われながら過剰適応の練習を続けた結果、当時よりかは人っぽい動きができるようになったかと思います。本質は全く変わっていないんですけどね。たぶん就活とか絡んだのも大きかったと思います。就活で「人間らしさの擬態」を特訓しました。就活は自分らしさなんて出しても意味ないですからね。セオリーさえ覚えればロボットみたいに受け答えすればいいんだから、ある意味楽です。短時間勝負なら見抜かれにくいですし(雇用されてから化けの皮が剥がれて評価が下がるパターンです)

今の自分は例えるなら肉を食べるシマウマです。肉がおいしいとは思わない、食べたいとも思わない、でも肉が上級の食料とされている世界だから、そうしなければならない、そうすることが正解だと強く思わされている。そんな感じです。

こういうことを書くとまた「普通じゃなくてもいいじゃん」だの「自分らしさが大事」だの言われるのですが、そういうことじゃないんです。

普通じゃないことがつらいのではなく、そうすることで予期せず人に迷惑をかけたり、怒らせることで自分の価値をこれ以上下げることがつらいのです。

発達障害は個性だとか馬鹿抜かす人たちはたくさんいます。やれアインシュタインだのエジソンだの坂本龍馬だの世に出たたくさんの天才たちの多くは発達障害だったって例示されます。最近の例だと米津玄師もそうでしょう。

間違いなく今の日本音楽のトップを走る人間が高機能自閉症だと言われて、それをネガティブにとらえる人は、多くはないと思うのです。むしろ「そういう障害があるからこそとんでもない才能があるんだ」「神様からのギフトだ」と礼賛するでしょう、とくに障害に関して無知なファンは。

まるで発達障害が天才のアクセサリーのようにもてはやされる。私はそれがどうにもしんどい。

彼らが天才なのは言うまでもないし、それが発達障害に由来するものなのかもしれない。山下清サヴァン症候群ゆえの記憶力で多くの絵画を残しました。

しかし「才能があるから発達障害でもいいじゃん」だの「自分らしさを大切にしていたら世間に認められる」だの、外野から適当なことを言われるのは本当に不愉快です。天才はごく少数だから天才なのであって、他の99%は凡庸以下の人間です。

発達障害は能力の凸凹が大きいですが、じゃあその凸が「天才」になるために備わった才能なのか?って言われたら……世の中もっと「天才」って多いと思いませんか?

役にも立たない凸凹を抱えて生きる人間なんて大勢います。発達障害だってそうでしょう。昔は職人的スタンスや農業とか単純作業の仕事とか、仕事の選択肢はあったかもしれません。しかし今は本当に厳しい。人間らしく振舞えない人間にとても厳しい。コミュニケーションもマルチタスクも大嫌い。感覚過敏で電話の音が聞き取れない。「そのへん適当にやっといて」の意味がまったくわからない。集団のヒエラルキーがわからない。嫌味さえわからず、後からハラスメントを受けていたことを第三者から言われる。

生きていくのは本当にきつい。シマウマが草を食べるのは当たり前のはずなのに、それがおかしい、それは普通じゃないと言われる。だから肉を食べる(東京グールでも、普通の食べ物が吐き気するくらいまずいのに無理やり食べてますよね。あんな感じに近いと思っています)言葉に表現しにくい違和感があるのですが、それでも生きていくためには擬態するしかないと私は思っています。「自分らしさ」なんて必要ない。一部の天才たちにはそれが金となり名声となり他人を動かす力になるのかもしれませんが、凡庸以下の自分にはそんなの必要ありません。

繰り返しますが発達障害なんて個性じゃありません。マスメディアは映える発達障碍者ばかりを取り扱っていますが、あんなキラキラしたのはごく一部でほとんどが「障害」です。

発達障害を個性だというのであれば、なぜ今「発達障害は治る」というバカげたビジネスが流行っているのでしょう。それって矛盾してません?個性なら伸ばせばいいじゃないですか。無理やり矯正しなくてもいいじゃないですか。

治したい親が多いってことは、それってつまり、発達障害なんて「個性」とかいう優しい言葉じゃ表せないものってことでしょ?

凸凹をさらけ出したまま生きるのはとてもしんどい。かといって過剰適応で自分を隠しながら生きるのもしんどい。どうすればいいんでしょうね?人間擬態薬でも開発されればいいのに。一般的な人間の頭の中を理解できる薬があればいいのに。人間らしく動けるようになればどんなにか楽か。凸凹なんていらないので、もっと平らな人間になれませんかね。

普通じゃないことはとても苦しいです。でもそれ以上に、誰かを傷つけたり自分を無価値だと痛感させられたりすることが辛い。なので、これからもなるべく普通と思われるように誰かに擬態して生きていきます。そうするしか今のところ自分には道がないので。

「うつヌケ」と心の支えと「無敵の人」について

本棚を整理していたら前に読んでいた本が出てきました。今から二年前、ひどいうつでよれよれだったときに読んだものです。「うつヌケ」。手にとった人も多いんじゃないでしょうか。

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 この本が出てから「うつぬけ」のワードが増えた感じがします。というか2017年からうつ関係の書籍が増えたような。自分が見るようになったからってだけかもしれませんが。カジュアルな表紙で手に取りやすいですよね。薄いピンクでとっつきやすい絵柄。うつという題材の重さに反し、優しいタッチで進む物語は、患者も家族も読みやすいです。

ただこれを初めて読んだころからずっともやもやしてたことがありまして、それを今回も感じたので記事にしておこうと思います。

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【電車】精神障害者(うつ病)、発達障害者は優先席に座っていいのか。ヘルプマークを使えばOK?

うつアスペ会社員のもみじです。

月初の勢いはどこへやら、今はメンヘラ全開の非常に調子が悪い状態です。

頭がズキズキと痛く、疲労感、倦怠感が非常に強く、常時ぐったりとしています。

調子がおかしくなるのは毎年のことなのですが、今年も例に漏れずしんどいことになりました。なんかもう調子は安定しないしイライラすることは多いし、このブログにも書き連ねたいことは山ほどあります。その中でも今日は最近特に気になったことを書きたいと思います。

 

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障害者雇用は社内ニートになりやすいし、精神障害持ちの就労は厳しいのかなって話

前の会社に障害者雇用の方がいました。身体障害で多少コミュニケーションに配慮が必要でした。障害者雇用でも彼ら彼女らが正社員であることは明確でしたし、有給やボーナスの設定もありました。

でもね、その社員の方、全然仕事しないんですよ。勤務時間中なのにありえないことをする。たとえばマンガを読むとか、ソシャゲをするとか、昼休みから帰ってこないとか。

そんなときに言われた言葉がありまして「だって会社は私たちを戦力として扱わないから。こちらも戦力になりようがない」ということでした。

退職する際に言われました。「仕事だけの人生なんて楽しくないよ」って。

複雑な気分でした。

 

障害者「雇用」のその先

私のいた会社は障害者雇用じたいにはそれなりに配慮があって、どの部署にも何人か雇うように決められてました。身体が多かったかな、精神は…いたのかもしれないけど、それこそ見えない障害なので、気づかなかったのかもしれない。とにかく、雇うことに関しては、比較的積極性があったようでした。

ただ、問題はその後です。雇われた先で、その社員が何をやるのか、どう働くのか、全くプランニングがされていない。

たとえばAという仕事を指示されたとします。障害者雇用の人はAという仕事をやります。これで労働に対する報酬は発生します。

しかし、そもそもAという仕事が、その職場に必要なのか?業務のスリム化を考えたら間違いなく切り捨てていいものなのに、会議では誰も触れない。というか触れようがない。彼らに与える仕事がない、それを考える余裕がない、責任を負いたくない、管理したくない。

結局、放置。やらなくてもいい仕事を与えて、それで給料支払ってるんだから、会社としてはやるべきことをやっているだろう。

理屈としては納得できるんですけど、どうにも微妙な気分になります。雇用じたいは実現していても、彼ら彼女らの特性や能力を活かした職場づくりは難しいですよね。

 

ふてくされる「社内ニート

たとえば超高学歴で頭が切れるけど、歩くことができなくて車椅子の社員がいるとします。でも、彼を営業に出すことはできない。外勤にも出せない。常に「あの人はあれができないから」という目で見られる。へたに仕事の振り方を間違えてハラスメントと言われたら大変だから、上司はどんどん心理的距離を置こうとする。

そうなると、どれだけ優秀な社員であろうと、いや優秀であるほど、つらくなってきます。自分がこの職場にいる意味ってなんなんだろう?なんのために今までの学歴なりキャリアなりがあったんだろう?ここで自分のなにを生かすことができるんだろう?

そう悩んだ果てに、開き直ったのが冒頭の彼らです。日中にもかかわらず寝る。電話が鳴っても放置する。注意されるまで書類を出さない。会議にわざと参加しない。

だって、自分がいても意味ないんですから。

優秀な能力を持っていても、それが活きる環境でなければ人は腐っていくし、社内ニートとして無力化していく。悲しい問題ですが難しいです。

ハンディキャップへの真の配慮っていったいなんなんでしょう。雇って生活の保障をすることは間違いなく彼らのサポートになりますが、「会社員」としての彼らの生きがい、やりがい、モチベーション、能力の活かし方は、どうやって開拓していけばいいのでしょう。

 

精神障害雇用の難しさ

私はネットで知り合った障害者の友人がいます。聴覚障害がありますが非常に聡明で10年近い付き合いになります。大学を卒業して(おそらく)障害者枠で就職して、今も会社員で働いています。彼女がどういう生活の工夫をしているのか、実はよく知りません。

彼女は音楽が好きなのですが、当然ですが私とは聞こえ方が違います。音楽は多少わかるけど人の話し声はわからないそうです(だから、コンサートのMCやテレビのトークが聞こえない。つまり対象者の地声がわからない)

ネットでのやりとりに問題はないのですが、実際の生活はなかなか大変みたいです。私のように見えない障害を持つものもいれば、見える障害を持った人もいる。どちらが大変か比べることは無意味でしょう。

ただ言えるのは、身体より精神障害の雇用は難しい、ということです。これはキャリアエージェントだの障害者就労相談センターだのに行けば明確です。相談に行ってどういうハンディキャップがある?と言われて「双極性障害です」と答えれば、カウンセラーは固まる。「そうか…」と答えに困るわけです。

最近障害オープンで就活をしていますが、求人は多い。ええ、多いんですけど、よく見たら、そこに精神は…含まれていない…門前払い…つらあ…

歴代で雇用実績、定着実績がないからでしょうか?その特性上、休職を繰り返してややこしい存在と扱われるからでしょうか?とにかく精神障害ターゲットの求人は少ない。だいたい身体。これいいじゃん!って思ったものは全部違う。応募することすらできない。なんつーか、ほんと世知辛い。

発達障害は治るだの馬鹿げたビジネスが流行ってますが、正直自分が親だったら、そういう根も葉もない馬鹿みたいな治療法でも信じたくなる気持ちもわかります。さすがに漂白剤は飲ませないけど。

だって、発達障害精神障害のダブルパンチとかになったらめちゃくちゃしんどいですよ。昔なら生きていけたかもしれないけど現代での風当たりの強さはやばい。もう鼻つまみもの感やばい。

雇うほうもどう扱えばいいかわからんし、雇われるほうも自分の状態がわけわからんし、ものすごくリスキーな雇用になるんでしょう。精神障害をうまく勤務定着させられている会社があればそれをモデルケースにできるんでしょうけど、そんなのなかなかねえ…

 

雇ったら社内ニート、そもそも雇われない人達

雇えばそれで国から認められる、そう割り切るわけにもいかないでしょう。ハンディキャップゆえに優秀なのに社内ニート化してしまった人、めちゃくちゃ高学歴なのに鬱になって月の半分も出勤できてない人、そもそも面接に落ちまくる人、応募できる求人がない人…

一昔前と比べればダイバーシティは実現していますし雇用への考え方も寛容なんでしょうけど、どうにも良いのが見つかりません。いいなと思ったら転勤ありだったり、クルマ使ったり(発達障害で絶対運転できない)、社名ぐぐったらすごいブラックだったり。

なんかもーうまくいかないです。かといって障害クローズ正社員でやろうものなら、また躁鬱アタックで退職になるのは目に見えている。もうバイトとか派遣とかで徐々に慣らしていくしかないのかな。あとは在宅ワークも増やしていくとか…

ハンディキャップがある人間を雇うことは確かに大変ですしマネジメント、体調モニタリングなども困難でしょう。健常者じゃないですからね。

ましてや精神障害なんて本人すらよくわかってないビックリ玉手箱なんですから、上司が理解できるわけもない。うつ病ならまだ治る見込みを持って接することもできるだろうが、躁鬱の扱いづらさときたら。治らないうえに躁を基準で動き回ると後で倒れるんです。ほんと手が付けられない(ちなみに今もわたしは軽躁ぎみです。季節性のアレ)

年金も年功序列も消滅間違いなしなので、まあ障害あるなしに関わらず働く運命にはあるのでしょう。しかし、その環境が今整備されてるかというと、だいぶ疑問です。そもそも精神障害への門戸が狭いし、雇われたとしても私が見てきた人のように社内ニートになるかもしれない。

そしたらお金はあるけど社会人として果たして望ましい状態なのか?本人が納得していればそれでいいけど。その人が持つ能力がちゃんと発揮されないでいいのか?ただ社員名簿に加えてるだけでいいのか?戦力として扱う方法はないのか?

解決すべきことはたくさんあります。でもハンディキャップと社会人の共存は決して不可能とは思いません。なんかあるはず。よくわかんないけどあるはず。そうじゃないと困る。

とりあえず障害者求人サイトをまた巡ってみます…精神障害に〇マークついてるとこを探さなければ。

ひきこもりだろうと障害者だろうと生きる権利はあるはずなのになあ

ひきこもりの定義めっちゃ厳しいですよね。あんなんわたしも余裕で該当するわ。休日もリアルコミュニティに属してないとひきこもりらしいですよ。休日なんて寝るためにあるようなものなのに何を言っているんだろう。弱小HPの自分には理解ができません。周りがみんなスーパーサイヤ人のように見える。

 

ひきこもりは犯罪者予備軍…ええ…?

去年の新幹線の事件でもそうでしたが、犯人が自閉症スペクトラムであることがあたかも悪いことであり事件発生の原因であるかのように一部マスコミが報道していたのは、気分のよろしいものではありませんでした。まるで自分と違う異常な生き物だから犯罪を犯してしまったのだ、そうに違いないと断じるような口ぶりが非常に気に食わなかった。

原因探しをしたいのはマスコミあるいは民衆心理なのかもしれませんが、少なくとも発達障害そのものが犯罪の卵であることは違うでしょう。二次障害がある場合は仕方ありませんが…

 

最近の報道を見ていると、まるでひきこもりだから社会性や倫理観を失って、他害性の強い犯罪者になってしまったのだみたいな論調が見受けられて、いやそれだけが原因ではないだろう…とひきこもり無職の一員としては思うわけです。風当たりが強くなるのは嫌だな。

社会に出たくてどうにかしてる人、やむをえず社会に出られない人、いろんな事情があるにも関わらず、十把一絡げにひきこもりは大悪人みたいに簡単に言うのはとても怖い。

自分の外に原因を求めてしまえばラクですけど、意外と近くにあるかもしれないじゃないですか。いつ自分が当事者になるかわからない。関係者になるか分からない。ひきこもりをまるで別の星の生物のように考えるのは、ラクですけど解決策ではないですよね。

 

自分のすぐ近くにいる

遠くにいるものだから適当に怒りや叩きができるかもしれませんが、じゃあ自分が絶対に関係者にならない、一生無縁の問題ですむ、とは限らないでしょう。自分が病気や怪我で家から出られなくなるかもしれないし、親や兄弟、子供がひきこもりになるかもしれない。

得体の知れないモンスター扱いする人もいますが、いつ自分がそれになるかはわからない。人生の中でなにが起きるかなんてわからないです。ひきこもりは決してエイリアンではない。

 

そうこう言うわたしもつい数年前までは、ひきこもりなんてありえないと思う側でした。仕事をして社会に出ることが大人として当然であり、それが出来ない人なんてありえないと思っていました。狭い視野です。

病気になって、障害が発覚して、自分がいかに小さい世界で生きていたかがわかりました。自分の見る常識が狭すぎること、健康であることへの傲慢、そうなれない人に思いやりすら無かったことを知りました。そしてそれを他人に強制できないことも。

結局当事者じゃないとその苦しさなんてわかりませんし、他人が適当に批判しても意味がないんです。

 

たとえば「うつは甘え」って言われても今ではバカ言ってんじゃないよとしか思いません。無知な人がなんかほざいてるとしか思えないので、聞く耳も持ちません。

だけど、うつが甘えという人は結構本気なんでしょう。そう思わないとやってられないのかもしれません。激務でメンタル病んでいく同僚や部下への嫌味で言ってるのかもしれません。事実がどうであれ、そう言うことでしか自分を防衛できないのかもしれません。

今の苦しさから目を逸らすために簡単に問題をカテゴライズして叩きまくる、なぜならそれがラクだから。自分に無関係と切り離して石を投げまくる立場はラクだし楽しいですからね。

 

雑に問題をまとめないでほしい

今回の報道でなにが嫌って、ひきこもりなり精神疾患なりそういうものに原因を求めて、「だからひきこもりは全員悪なんだ」みたいに集団叩き、社会の幽霊だから放棄していいんだ、自分たちとは無関係なんだと結論づけてしまうことです。

1人の犯罪者に対してそう決めつけることはともかく、今ひきこもりと定義されている人は60万人とされています(実際にはもっといると思う)。その人たちの声は、果たして例の犯罪者と同じものだろうか。きっと違うでしょう。だけど、ひきこもりという名前で、彼らにも同じラベリングをしてしまうのは適切な行動なのでしょうか。

犯罪を庇うつもりは一切ありません。加害者も絶命した今となっては本当の動機などわかりません。家から見つかったのはテレビとゲーム機。笑わせてくれます。どうしても動機を犯人のひきこもり生活の中に見つけ出したかったのでしょう。

ただ、1人で死ねよとかひきこもりは悪だとか、そういう強い論調が、他の誰かを焚きつけるリスクは十分にあると思うのです。自分でもどうにかしたいのにできない、コンプレックスや弱さや困窮感にまみれて生きている人が、社会からの強い声に押しつぶされてしまわないか。「これが正義」に組み敷かれて、悪い結末に向かっていかないか。

それが不安で仕方ないのです。ひきこもりに限りません。いろんな事情で苦しんでいる「弱い環境で生きる人たち」を責めるものになっていないか。怖くなるんです。

決して犯罪者予備軍は遠い世界の生物じゃない。お隣さんかもしれないし同じクラスかもしれないし隣のオフィスビルかもしれない。

繰り返しますが他人を巻き込んで事件を起こすことは悪です。そこは変わらない。犯罪を受容する気は一切ない。

ただ、犯人の属性をとりあげて、あたかもそれに類似した人達をすべてモンスターの卵みたいに認識することは、きわめて危険なんじゃないかと思うのです。眠る獅子の尻尾を踏むというのか、ギリギリのバランスで立ってる卵を転ばせてしまうというのか、そういう危うさがあると思うんです。生きる権利はある。社会に属する権利はある。

そのためのサポート体制も、探せばある。時間はかかるでしょうし精神的にも肉体的にもきついでしょうけど、這いずれば何か細道を見つけられるかもしれない。

その道を世間が完全に断絶したとき、恐ろしい事態に発展するんじゃないでしょうか。追い詰められたらネズミでさえネコを噛むんです。

自分も社会的弱者ですが、自分の属性をあたかも犯罪者の条件みたいに言われたら非常に腹が立ちます。

外野からバッシングするのは楽しいし無責任に済みますが、ありえないと叩きまくるその人たちもまた、自分らと同じ人間です。いつ自分たちもそうなるかわかりません。生涯無関係の生き物ではない。

今回の報道が誰かを深く追い詰めて、悲惨な事態を招かないことを願います。

いじめられていたことにも気づかなかった発達障害の小学生

ブログを見ればわかる通り、私は発達障害です。今のところ広汎性発達障害と診断されていまして、俗にいうアスペルガーADHDの特徴を備えています。そのうえ双極性障害という気分障害も持っているので、控えめにいって詰みまくっています。しかもこれらが発覚したのはここ数年なので、子供のころは全くスルーされていました。小さなころに気づかれて療育とか行われていたら状況は違っていたんでしょうか?よくわからないですが、とりあえず今大変です。仕事を失って就労移行支援とか行きながら先のこともぼんやり考えてはいます。何が起きるかなんて誰にもわかりませんけどね。

 

たぶん発達障害でいじめられてたんだろうなあ

カウンセリングで昔のことを振り返ってみてくれと言われます。幼少期の行動とか学校での態度とか、トラブルが発生していなかったか。大人になると発達障害の特徴をマスキングしてしまうので、むきだしの子供のころのデータを取りたいようです。

ひとことでいうと酷い子供でした。たぶんめちゃくちゃ手がかかる子供でした。ほかの子供と比べてきわめて聞き分けが悪いしワガママだしノロマだし空気も読めないし、ひどいポンコツでした。自分が親だったらこんな子供絶対育てたくない。親の心の広さにびっくりします。子供として全然かわいくなかったし、根性が悪い自覚もなかったから、なぜ周りに嫌われているのかもわからない。というか嫌われていることにも気づかなかった。

 

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それをカウンセラーさんに言うと「発達障害の特徴ですね」とすっぱり。空気が読めない典型例でしょうと。子供のわがままの範疇を超えていましたからね。どうして昔はあんなに癇癪持ちだったのか自分でもよくわからない。

で、それだけおかしい行動を日々繰り返している子供が、集団でなじめるわけもないんですよ。ここに書けないような奇行を日々繰り返している子供に先生も頭を抱えるわけですよ。昔だったから「ちょっと変な子」で済んだんでしょうけど、今だったらそれも無理でしょう。最近は厳しい基準らしいですからね。

まあ嫌がらせのようなものも受けました。当然ですよね。自分がそれをやってるんだからやり返されても仕方ありません。総スカンを食らったこともありますし、なんか持ち物を取られたこともあるし、悪口は普通に言われたり。自分がターゲットになっているんだなあ、ということに気づいたのは、なんと数年後。いじめられてたことに自分で気づかなかったんです。やばいくらい空気が読めない。

 

いじめられていたことさえ分からない

よくいじめを受けて自信をなくして不登校、ひきこもりになったケースとかありますけど、いじめられている自覚がある、自覚できるだけ、なんといいますか…情緒があるんだなあと思います。自分は確か小学生のころ、1年近くいじめられていました。クラス替えまでそれが続いていましたから、けっこう長かったししんどかったはずです。だけどそれを「いじめ」と認識すらできていなかった。

 

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いじめという言葉は知っていたしドラマや漫画でそれが描かれているのはわかっていたけど、自分の身にそれが起きていることさえ分かってなかった。空気が読めないが極まると、自分が害されていることさえ察することができないんですよね。プリント回されなかったりそういう行動の「悪意」にさえ気づくことができなかった。

なんでみんなこっちに寄ってこないんだろう?話しかけてこないんだろう?消しゴム貸してくれないんだろう?気にはなりますけど、それが「いじめ」と紐づかないんですよね。たしか当時空想癖がやばいくらいあって、常に現実と空想の境をうろうろしていた(この症状はなんと大学生まで続きます)ボケーっとした子供だったので、現状認識能力が極めて低かった。その結果、いくら嫌がらせをされようと「抵抗する」「悲しむ」などのリアクションを取ることさえできない。親や先生に相談する発想もありませんでした。いじめられている自覚がないので。友達がいないのは寂しくもありましたが、もともとボーっとしてるし、ゲームしたり本読んでる方が楽しい子供だったので、いじめと戦う気もありませんでした。

たぶん当時の状況を親が知ったとしたら、抗議してると思います。やってることは完全にいじりを通り越していじめだったから。ただ、親がそれを知るのって当事者の子供経由なのがほとんどじゃないですか。で、それを申告しない子供の場合いつまでも状況は変わらない。そして子供がいじめられている自覚を当事者さえ持っていない。そうなるともう、手のつけようがありませんよね。教師なんてあてにならないし。解決してくれるはずもないし。

 

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そんなこんなで叩かれたりハブられたりが日常になってはいましたけど、良い意味で発達障害が働いた(?)のか、いじめは自然消滅していきました。中学以降はさすがにいじめられてなかったと思うんですけど、これも自覚がないパターンなのかもしれない。怖い。

 

親が「目」になる必要があるのかもしれない

いじめ問題は本当に根深いし、人類が人類である以上ずっと続くと思います。根絶は難しいと思う。人間はどうしても比べてしまう生き物だし、リスクなく叩ける存在を見つけたら集団で襲い掛かる、そういう醜い根性を誰しも持っていると思います。そして発達障害という現代社会ではデメリットとされる性質を持っていると、集団の中で目をつけられやすい。これはもう仕方ないのかもしれません。「普通」であることを過度に求められるのが日本のクソ教育ですから、その枠からはみ出た存在なんて平気で叩いてもいいんですよ。まともじゃない方が悪いんですから。ほんとバカみたいな話ですけどね。

で、まだ被害者が「いじめがある」って保護者に訴えられるのであればまだ打つ手はあるのですが、私のように「被害に遭ったことすら気づかない」存在って意外といるのではないか?とも思うんです。そりゃ今でこそいい大人ですから、多少は他人の悪意に気づくこともできますが(できてないかもしれない…)子供なんて情緒が未熟だから、自分に向けられる感情の意味なんて理解できない。そういう子も意外といるんじゃないかと思うんです。で、そういう子は訴えないから、周りも気づかない。いじめっこたちも都合がいいからいじめる。教師は知らんぷりかそもそも気づかない。「空気が読めない」からいじめられてるのに「空気が読めない」からそれに気づかない。そういう循環の中で生きている小さな子って結構いるんじゃないでしょうか。

だから、ひどい加害に遭う前に、保護者がそれをキャッチすることも求められてるんじゃないかなって思います。服ボロボロで殴られてたらさすがに気づくでしょうけど、いまどき外傷のないいじめ方なんていくらでもあるわけですから、大人に気づかれずに痛めつけることは十分に可能です。それがどんどんエスカレートしていかないように、子供が被害を受けている可能性を常に考えていかないと、私のようにボケーっとしてる間にいろいろされる羽目になるのかもしれません。子供って残酷ですから「自分たちと違う」個体を瞬時に見抜いて攻撃を加えて、排斥しようとします。学校と言うバカみたいに狭い世界の中でカーストを作って、はじき出したいヤツに悪知恵を使って攻撃します。そして「発達障害は個性ではない」。これは繰り返し言っていきたい。発達障害は個性ではない。

 

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 よく発達障害の人には天才が多いなんて報道されたりもしますが、そんなことあるわけない。ごく一部の発達障害の人にはそれが該当するかもしれませんが、実際には社会生活も苦労するレベルの人ばっかでしょう。マルチタスクコミュ力が求められる現代社会で発達障害の凸凹は「個性ではありません」。昔は個性だったのかもしれませんが、今ではそうじゃありません。生きていく上での障害です。生きづらさの原因です。

だからこそ、子供が特に小さいうちは、親が「目」になる必要があるんじゃないかと思います。発達障害を抱えた子供をあたたかく受け入れる人の良い学校ばかりじゃありません。むしろ冷たい目で見る方が多いでしょう。性善説に期待しない方がいいです。子供が不必要に嫌な目に遭わないように、そして他人を嫌な目に遭わせないように、深く注意するのが保護者の役割なんじゃないかって最近思います。

適当になるがままにいじめもほったらかしで暮らしていると、生きづらさを抱えたまんま大人になるんじゃないでしょうか?今の私のように。

うつ病休職中にやったこと・やらないほうがいいと思うこと。勉強とかしないでいい。とにかく休んで寝て

うつアスペ会社員のもみじです。

先日は前記事にたくさんのスター、ブクマなどいただきありがとうございました。

 

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 うつ・双極性障害ASDADHDとメンヘラフルセットで生きている、人生綱渡りの人間ですが、これからもブログ書いていきますので、よろしくお願いいたします。

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【メンヘラ】まともって何?普通に生きるのはとても難しい。社会人の生きづらさ、うつ病?双極性障害?発達障害?

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私は物心ついたころから「生きづらさ」というものを抱えていました。

誰もがそういうものを持っているのかと思っていましたが、生きづらさがない人とある人の2種類に世の中は分かれているようです。わたしはいつも生きづらさがある人と親しくなることが多かったです。共鳴するものがあったのかもしれません。

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【抜けている】「ぼーっとしている」と言われ続けた発達障害会社員の幼少期。ADHDの不注意?【変な子】

どうしようもない会社員のもみじです。

とかくこの世は生きにくい。生まれた時代を間違えたのか。いや、どの時代に生まれようとわたしは生きづらいに違いない。

なぜもう少しハイスペに生まれなかったのだ…とわが身を呪いたい気分ですが、もういい年ですし、この先人生がおおきく改善することも考えづらいですし、もう社会の底辺をはいずりながら生きていくのは仕方ないのかな…って思います。夢見たハイスペの自分など、妄想だった。そんな人、最初からいなかった。

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【友達】メンヘラはうつる。周りにメンヘラ(うつ病など)がいたとき、あなたは絶対に「助けよう」と思わないほうがいい

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個人的にこれは真実だと思います。

友達、知り合い、会社の同僚、後輩、恋人、家族。

いろんな間柄で付き合う人がいる中で、必ず一人くらいは「心を病んだ」人間がいると思います。私のように。

しかし、彼らと接するのであれば、覚悟しておいたほうがいいことがあります。

「メンヘラを助けようと思わないほうがいい」

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【メンヘラ】一度壊れた心は二度とは元に戻らない、と痛感するうつアスペ会社員

うつ病心の風邪、なんてフレーズが流行りましたよね。

21世紀になってから製薬会社が編み出したこのフレーズのおかげで、うつ病は良くも悪くも認知されるようになりました。

しかし、このフレーズだけ聞いていると、いかにもうつ病が「軽い病気」のように思えてきますよね。

誰でもかかって、薬さえ飲めば、もとに戻って、日常生活に戻る。それが可能なように思えてしまいます。

しかし私は、自分の経験から考えると「もとに戻る」ことはないんじゃないかと思います。今までもそうですし、これからもそうだと思います。

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「変わった子」と呼ばれ続け、生きづらさがあったうつ病&発達障害会社員

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先日、WAIS-3テストを受けてアスペルガー症候群と診断されました。

さいころから「変わった子」と呼ばれ続けた理由が、少し腑に落ちたような気がします。

 

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自分が発達障害とは知らないままでしたが、こうして試験で結果が見せられると「自分が発達障害」なのかと思わざるを得ません。

自分が「ほかの人とは違う」と思わざるを得ない場面が小さいころから数々あったので、「やっぱりそうだったのか」と感じました。

 

今回から、自分の人生を振り返る記事を増やしていきたいと思います。「変わっている」と言われることの多かった人が、少しでも共感できるポイントがあったら幸いです。私自身、自分のことを「変わっている」と思っていますし、他人からも「まあ、ちょっとズレてるよね」とは呆れた様子でよく言われます。その「変わっている」がASD由来であることはWAIS-3結果から明らかなので、同様にASDの方も読んでいただけたら幸いです。長くなりますが。

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【しんどい】うつ病で生きるのが辛いときに私が実践する対処法。寝る、頓服、お風呂

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うつ病会社員のもみじです。

毎日メンヘラをこじらせながら社会人しています。

うつを患いながら仕事をしていると、困ることが多々あります。

その中でも特につらいのが、「突発的なうつ発作」です。

鬱の方ならお分かりいただけないでしょうか。突然急に気分が沈んで、体も頭もさっぱり動かなくなるアレです。低気圧とか、ストレスがかかる出来事があったとか、発生原因はいろいろありますが、発生条件はまだ完全に把握しきれていません。

突然「うつ発作」に襲われると非常に苦しいです。社会人として働いているとなおさらです。そんなときにわたしが実践している「うつ発作」から逃れるための手段を、ここに書き記します。

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【発達障害】会話が噛み合わない、普通に生きられない、方向音痴。アスペルガー社会人の大学時代

前回の記事の続きになります。

 

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 この一連の記事を読んでいただいた方であれば、わたしが少しどころか結構おかしい人間であり、「普通」という規範から外れた人間として生きてきたということをわかっていただけるのではないでしょうか。本人はいたって真面目に真剣に生きているのですが、どうにもうまくいかない。相手を怒らせたり、誤解させたり、思ったように物事が進まなかったり、チームに迷惑をかけたり。そんな経験を山ほどしてきて、しかも学習せずに同じ過ちを繰り返し続けてきました。

 

自分の性格の悪さおよび手先の不器用さ、人間関係構築のへたくそさには我ながら呆れます。20歳ごろ「さすがにこれでは人として終わってしまう」と思い、他人の表情や言動をトレースすることで真人間に近づこうと試みましたが、それでもトラブルの数々は避けられませんでした。今思えばとても精神的に幼く、弱く、無力なくせにプライドが高く、傷つきやすいくせに人を傷つけることには無自覚という最悪なパーソナリティを持っていました。今も大して変わっていませんが…

 

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