金曜日の夜をめざして

サバイバル中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

軽躁が出ている気がするので書いておく

タイトルのままですが、軽躁サインが来てる気がする。これを放置しているとまた鬱フェーズになる気がする。

躁鬱って怖いですよね、自分ではない何かになってしまう感覚がある。

狼男みたいだと思う時があります。躁にならないように気をつけても、エンジンが動き出すと別人になってしまう。

自分のようで、もはや違うんですよね。

 

 

1 とにかくイライラする

光、音、におい、声、すべてにイライラします。たとえばコンビニで安っぽい邦楽が流れてくるとぶち飛ばしてやりたくなります。なんでこんなくだらない音楽を大音量で聞かせられないといけないんだ?

無印良品で流れてるようなBGMにさえイライラします。人の声に異様にムカつくのですが、軽躁サインが出てる時は楽器の音にも腹が立ちます。

普段より音がダイレクトに耳の中に入ってきて気持ち悪くなります。聞きたくないのに他人の話し声が聞こえてイライラしたり、イライラをしずめるために爪を片手にくい込ませたりします。

またちょっとでも想定外のことを言われるとイライラゲージが一気に上がります。時間を変えられたり欲しいものが無かったり、普段なら流せることが無性にムカついて、怒鳴り返したくなるのですが、理性で落ち着けています。

とにかく短気でせっかちになるんですよね。待つのが嫌いになるし、自分の周りのあらゆる刺激にイライラする。

こういうときは外に出ないか、イヤフォンして遮るか…イヤフォンの触感が痛くて嫌いなんですけど、やっぱり使わないといけないかもしれません。やばいくらい赤の他人の声が苛立ちます。

 

2 浪費?

適当に必要なものをかごに入れただけなのに、こんなに高いの?ってなります。高いものが好きな訳では無いのに、なぜか買い物に金がかかる…

しかもこういうときってデカい買い物したがるので、おさえています。家電とか高いので…

 

3 ADHDが強く出る

診断されているADHDみが日毎強くなっている。とにかく雑、いい加減、適当、遅い、言われてもやらない、忘れる、優先順位がつかない…頭のボンヤリがどんどん広がっていって、なにをしたらいいのか、すべきなのか、やらなきゃいけないのかわからなくなる。考えていることが右へ左へとっちらかる。

この感覚、共感できる方いるでしょうか。興味があること以外全部シャットアウトで、逆に言えば興味があれば過集中。なので面倒なことは全部シャットアウトになり、後から大変なことになる。

 

分からないのではなく、わかっていてもできないんですよね…

 

4 言葉が荒っぽくなる

1につながる話ですが、言葉遣いが悪くなるし、書き言葉も配慮がなくなるし、とにかく短気で浅慮です。コンビニで怒鳴るジジイは前頭葉が萎縮しているそうなので、躁状態前頭葉も同様なのでしょうか…

 

5 意味の無い行動性

イライラしてるならじっとしてればいいのに、意味無く出回ってストレスを溜め込んで戻ってくる。わけがわからない…

今はまだ自覚的ですが、これ以上ひどくなるなら本当に別人みたいに人格が変わってしまうのでしょうか。だったらやだなあ。

躁がひどくなると毎回誰かと激しく衝突し、絶縁レベルに至るまで暴言を吐き続けてしまいます。止めようと思っても毎回…

躁のときってペラペラ悪口が思い浮かぶんですよね。そして言ってるうちに次々連想して痛めつけて、相手をボコボコにのすまで吐き続けないと気が済まない。

自分の納得がいかないことを言われると、100倍返しくらいで言い返したくなります。流せるものが流せなくなる。

 

なんかなあ…薬はずっと飲んでいますしこれからも飲むんだけど、それでも止められないもんですかねえ…時々ムカつきもしますよ、高い金払って薬飲んで、副作用で体ボロボロになって、そこまでして生きても寿命平均は60ちょいって。

事実は変えられないから嘆いたり憤ったりしても仕方ないのですが、やっぱりムカつきます。健康な方が良いに決まってるじゃないですか。自分が何かに乗っ取られたかのように怒りのバケモノになる病気なんて、恐ろしくて仕方がない。周りも近づきたくもないでしょう。

 

怒られても治せないし、むしろ怒り返すし、ほんとに救えない。パーソナリティどうなってんだって話です。

つらい、悲しい、虚しいよりもムカつく、腹立つ、うざい、我慢ならないが勝ってきたら躁のサインかな…自分の場合は…

 

なにかトラブルがないように自制します。

テレワークがこのままずっと続いてほしい

後ろめたさが多少はあるので大声では言えませんが、テレワークは革命的変化です。自分にとって働くことはとてもハードルが高かったのですが、テレワークでその問題点の大部分が取り除かれたので、人生における常識がひっくり返り、まさに眼から鱗です。

 

早起きしなくていい

そもそも、朝早く起きて身支度して電車に乗る、これだけで体力の大部分が削られるのです。それをしないでいいし、部屋にパソコンさえ置いていればすぐに勤務開始できるので本当に楽。

たとえば髪をとかしてスタイリングして、ブラウスやスカートを履いて、コンタクト入れてファンデーション塗って眉毛描いて口紅塗って…という工程がすべてめんどくさいんです。はっきり言ってめんどくさい。テレワークではこれが省ける。混んだ駅をパンプス履いてうろうろしなくていい。本当に楽です。

たまに出社するさいも時差出勤が奨励されてるので電車が空いている。

今まで必死に何やってたんだろうって。身支度と通勤という無駄な時間が消えてくれたおかげで、生活がビックリするほど楽になりました。こんなに楽していいの?ってくらい。

 

うるさいオフィスにいなくていい

前の職場は怒声がとびかうし椅子はぶつけられるし、常に騒音だらけで全く集中できませんでした。そのせいで書類もうまく読めないしパソコン操作に集中できないし、電話はうるさいコピー機はうるさい怒鳴り声はうるさいドアの開閉音がうるさいエアコンがうるさいキーボードを打つ音がうるさいで本当に酷かった。

忙しい部署とはいえ、全員つかみかかるような勢いで話すのでストレスが半端なく、すべての怒声が自分に向けられてるようで、ほんとにすり減った。

ここのポイントは、仕事以外のことで削られるということです。仕事は進むどころか鈍化するし、残業は延びるし、定時に帰ると嫌な目で見られたり、ほんとに無駄が多かった。

お昼も外食で安いお店が少なかったので、地味に出費になりました。お弁当を作ればいいのですが、日中がこのストレスの連続なので、とてもじゃないけど無理でした。家はもう、寝るためだけの場所でした。家賃もったいないですね。

 

今は騒音も怒声もなく、静かな自分の部屋で集中して作業できるので、むしろ能率はアップしています。こう思うと、あんなしょうもないことに巻き込まれた我慢代が給料だったと実感させられ、働くことって無駄ばかりなんだなと知りました。

家を使う時間も増えたので、家賃に見合う利用はできてるんじゃないでしょうか…今後もテレワーク定着したら、ホームオフィスを本格的に作ろうかと考えています。

 

人間関係のストレスが減った

これも大きいです。私は察することがとても苦手で、人間の言葉にしない意図を読み取ることができません。前の職場ではそれができないとパワハラの標的にされたり干されたりでした。察してちゃんのジジイババアばっかりで疲れました。言われないとわからない、むしろどうして察してもらえると思うのかわけがわからない。

 

今はチャットやリモート会議で済むので楽です。画面や文字を介すると、察するというグニャグニャした文化が薄まるので便利です。私のようなasd性質の人だと、感覚過敏のダメージも減るし人間関係のストレスも減るので、だいぶヘルシーな生活を送れてるんじゃないでしょうか?

 

疲れていた、仕事以外のことで

そもそもストレスに感じるものが多すぎるんです。たとえばブラウスが肌にかかる感触も嫌いだし、冬にマフラーを巻いたりニットを着た時の肌のチクチクも嫌いだし、タイツもストッキングも靴下も嫌い。

自分の髪が顔や首にかかるのも嫌いだし、イヤリングやネックレスは気持ち悪いし、腕時計も嫌い。襟が詰まったシャツも嫌い、コンタクトレンズも嫌い、もちろんマスクも嫌い(外出るときは必ずつけます)。ネイルも嫌い、パンプスも嫌い、とにかく肌になにかが当たる感覚が基本的に大嫌い。

街の音も嫌い、駅のザワザワも嫌い、電車も当然嫌い、あらゆる音やにおい、揺れや光、感触がストレスを与えてくる。

とにかく嫌いなものが多いのに、これら全てを我慢して更にストレスフルな職場で毎日遅くまで仕事らしきことをしてたんですから、それは病むわけです。

 

ほんとにテレワークになって良かった。少なくとも自分の人生には革命です。一年前はこんなことになるなんて想像もしていなかった。

仕事以外のことで消耗させられてたんだなと深く実感します。

それでもたまにはみじめになる

考えても仕方ないのですが、同年代と比べて自分の人生はなんて遅々として進まないんだろうと嘆きたくなります。普段は考えないようにしてるんですけど、9月末とか年末が近づいてくると、今年もどうしようもなかったな…と思ってしまいます。

 

病気と言う面で考えるとセルフコントロールはそれなりにできるようになりました。仕事もバリバリではないけどゆるくはやれている。前の会社の頃ほど激務高給ではないけど、健康を大きく損なうことはないです。

 

ただこの年齢、アラサー…だと、男女ともに人生の転換点なのかなと思わされます。仕事で昇進したり、結婚したり、子供ができたり、家を買ったり…それぞれ大きなイベントがあります。何も経験してない人の方が少ないのでは?と思います、自分のまわりでは。

 

それに比べると、自分は発病前より進むどころか、周回遅れスタートしてるな…と時々考えて落ち込みます。結婚なんかできるんだろうか、したところで子供は持てるのか、持ったとしたら育てられるのか?我が子に何かが遺伝しないだろうか?一人で過ごすとして老後は大丈夫なのか?住める家はあるのか?やれる仕事はあるのか、食うに困らない金はあるのか、持病のコントロールはいつまでできるのか。親の介護は?土地や相続問題は?

考えると不安が尽きません。すでにこの年齢にして終活を考え出している。まあ双極性障害って寿命が60ちょいと聞いたことあるので、ある意味折り返し地点なんですけどね…

やっぱり病気になった時点で普通の人生からドロップアウトしたのかな、こんなことなら病気になったのも自覚せずに突っ走ったほうがましだったのかな、と後悔したりします。たぶんろくな結末になってないですけどね。

 

なんでがんばったのにあいつらより辛い目にあわなきゃいけないんだ、と思うこともあります。こんなことになりたくてがんばったわけじゃないのに…それも軽躁のシグナルだったのかもしれませんが。自分の身の丈以上のことをして失敗したんでしょう。もっと小さくまとまって生きていれば安定した幸せがあったのかもしれない。張り切りすぎて転んで致命傷を負ったんですよね。優秀な人たちに負けたくなかった。

 

この先どうやって生きていこう、と考えます。どうしたらいいんだろう?いつかはもっと先に進まないとならないのですが、今はそれをする勇気がない。新しい場所でまた拒絶されたらメンタルがもつ自信がない。かといってまた頑張ったら、どうせまた再発する。

悩みが多すぎて、誰に相談することもできなくて、頭を抱えています。一般的な幸せを求めることはやっぱり無謀なんだろうか。落伍者は落伍者らしくすみっこで生きてろってことなんでしょうか。

年末が見えてくると、ほんと気持ちが暗くなります。

悲しいニュースからは敢えて遠ざかって自分を守る

細かいことは言いません。わかる人にはわかるでしょう。悲しいニュースが続いています。つらいです。当事者ではないとはいえ、悲しいと感じるのは変わりません。理不尽さや「なんで?」と混乱する気持ち、喉の中がザワザワする気持ち悪さを感じます。

梅雨が終わると少しは前向きな気持ちになるんでしょうか…

 

この世は理不尽だ

こんなやつ早々にくたばっちまえ馬鹿野郎、みたいのがのうのうと長生きして、真面目な信頼されている人が去ってしまうのはおそらく世の常なんでしょう。憎まれっ子世に憚るとでもいうのか。まじめな良い子、よく我慢する子、努力は報われると信じている子…そういう子が果たして大人になって幸せかというと、必ずしもそうじゃないと思う。いじめられたり人に嵌められたり騙されたり、生きづらさを感じたり。

 

よく最前列で講義を聞いてる学生が全然就活でぱっとしなくて遊んでる人らが大手内定してて絶望、みたいなのを聞きますが、結局それが世の中の正解なんじゃないでしょうか。

学生のうちはまじめに先生の言うことを聞いてるのが正解、しかし社会ではそんな人間よりも要領の良さ、空気を読める器用さがある人が優先される。そのギャップに絶望することもあるでしょう。つらいですよね、いきなり価値観が逆転するんですから。

 

努力は報われるという言葉も嫌いです。それを言うのは報われた人だけだから。報われてないケースを知らない人だから。おおかた運やタイミングでしょう。環境に恵まれていただけのことを自分の努力のおかげにするのは厚かましい考え方です。

どうしようもなく狡く人を嵌めるのも罪悪感さえ抱かない連中のほうが却ってしぶとく生きる。道徳の授業の存在意義に疑問を感じます。

 

知らない、聞こえない、見ない

悲しいニュースを聞くとつい深い情報を知りたいと思ってしまいますが、知ったところでつらいんですよね…それで何かが解決するわけでもないし、コメント欄とか見ると同じ人間が書いたと思えない文字列が並んでてゾッとする。どんな脳をしてたらこんな言葉を吐き出せるんだ?みたいのが平然と書き込みしている。

そうすると二重三重に疲れてしまうので、暗いニュースからはやはり遠ざかるしかない。それを知る義務はないし、知ったところでもう何もできない。起きたことを悔やむしかない。

 

「なんで?」って思う時、本当に知りたいのはその理由ではないんじゃないかと思います。自分が納得できる情報さえあれば満足するから、デマでも平気で信じるし、デマに大勢が振り回されたら更に騒動が大きくなる。本当のことなんてもしかしたら当事者でさえ知りえないかもしれない。それを外野が火をつけてギャーギャー騒いでたら、それはもうただ騒ぎたいだけの口実で、そのニュースじたいは本当はどうでもいいんでしょう。

江戸の華は喧嘩と火事といいますが、現代も同じですよね…

 

どうでもいいニュースがうるさい

少しずれるんですけどゴシップやスキャンダル報道が嫌いです。嫌いというかどうでもいい。誰と誰が不倫しようと果てしなくどうでもいい。自分と関わりないんだからいらん情報すぎる。それをワイドショーで騒ぎSNSで騒ぎ、そんな個人のクソみたいなやらかしの前にもっとまともなこと報道しろよマスコミと思います。

テラスハウスの件で誹謗中傷の怖さについて報道したその口で、不倫した芸能人をほら叩けと言わんばかりに吊し上げるんですから意味不明と恐怖の極みです。頭の中に何が詰まっているんだろうか?

 

そもそも不倫報道って誰得なんでしょうか。理由なく誰かを叩ける便利アイテムなんでしょうか?定期的に供給されるサンドバッグ?こいつなら石を投げても大丈夫ですよという号令?

不倫した有名人が自分と関連するのならともかく、完全な他人のどうこうを騒ぐのって楽しいんですかね。そういうのもあってワイドショーってつまんねえなと思います。誰かのためになるから存在してるんでしょうね。

 

自分が一番大切

自己中に生きないといけない。貧しくなる一方の日本では、他人優先なんて甘いこと考えたらつぶされる。誰も守ってくれないなら自分が一番自分を大切にしなければならない。性善説なんて嫌いです。

悲しいニュースを見て気分が沈むくらいなら、遠く離れたところに行って気分転換したほうがいい。カーテンを開けて日光を浴びた方がいい、本を読んだ方がいい。SNSに書き捨てられた汚らしい文字列から逃げる。自分まで気分悪くなる必要はない。

意識的に逃げていこうと思います。それにしても今年は本当にとんでもないですね。半年前はここまで荒れるとは微塵も想像していなかった。半年後は今よりマシになってたらいいんですけど…

とにかく、逃避します。あつ森の続きでもやろうかな。

ストラテラによりADHD的な症状は確かに改善した

ここ半年ほどストラテラを飲んでいます。かつて診断されたADHD的症状が改善どころかちっとも変わらないので主治医に訴えたところ、トライしてみようという流れになりました。

ADHDの薬は他にもコンサータやインチュニブがあります。コンサータは取り扱いがちょっと面倒くさいこと、インチュニブは成人データがそこまで多くないことから、まずはストラテラから始めました。現在は80mgを毎日飲んでいます。

 

カプセルの不快感

まず感じたのはカプセルの飲みにくさです。喉の中にひっついた感じが一日中続いて気持ち悪い。カプセルの異物感が嫌だと思ったので今は錠剤に変更してもらっています。カプセルが苦手な人はしんどいんじゃないかな…どのタイミングで飲んでも嫌ですが寝る前は特にきついかもしれません。

あと口がかわきます。喉がかわくというより口がしわしわになるイメージです。水は携帯しておいた方がいいと思います。

 

頭はスッキリした

飲み忘れが数日続くと特に実感しますが頭の中がクリアになります。先延ばし癖も減ります。めんどくさい…と思うことも減ります。ちゃんとやることを筋道立てて考えられるので、家事や仕事がかなり効率的になります。

飲んでる間はさほど感じないのですが薬を抜くといかに頭がスッキリしたか痛感します。私は生まれてからずっと頭がぼんやりしていて、すぐに気が散るとか人の話を聞けないとかで困っていました。ストラテラだとごく自然に集中することができる。無駄なことを考えないで済む、これは非常に大きいです。

 

頭がぼんやりしてすぐ別の方向へ注意が向く、やらなきゃいけないことから逃げたがる、たとえばごみ捨てに行かなきゃいけないのに腰が上がらない…そういうことはストラテラを始めて減りました。頭の雑音が減ったといいましょうか、サクサク動くようになります。無駄なモーションが減るので体も疲れにくい気がします。

 

逆に言うなら、余計なことを考えられないデメリットもあるかもしれません。よくアーティストがストラテラを飲むと凡人になるだろうと言われますが、なんとなく頷けます。ボーッとする時間にインスピレーションが生まれるのであれば、ストラテラはそれを邪魔する薬です。あまりにもサクサク動けるようになると自由な発想は減るのかもしれません。

芸術系の仕事をしている人には相性良くないかもしれませんね。

 

デスクワークには多分向いている

サクサク文書を作ったりメールを返したり校正したり、デスクワーク系にはストラテラが合うかもしれません。あと電話対応…私はもともと電話対応が大嫌いで「なんでこんな不便なものを未だに使ってるんだ?」と思っていました。特に名乗りもせずに偉そうに喋ってくるオッサンとか大嫌いでしたしね。早口でまくしたてられても何言ってるのかわからずフリーズでした。

ストラテラを飲むと大嫌いな電話でもある程度落ち着いて対応できてる気がします。やっぱり気が散らないのは大きいです。本当に昔からボーッとしてて、人の話が聞けずにとんちんかんに回答したり、必要なタイミングで話さず無意味なタイミングで発言したり、酷いんですよね…よく社会人になるまでに躓かなったというかなんというか…

 

ADHDあるあるかもしれませんが、少しでも気が散ると全てのことをシャットダウンして意識が消えます。意識を体に結びつける効果が強いのがストラテラではないでしょうか…壮絶にやる気が出るわけではなく、やる気をムダに失わないようにする薬といいますか…

ポケモンでいうとコンサータがマックスアップでストラテラが毒消しみたいなイメージです(伝わりますか?)

 

副作用ですが、喉のべたつきと口のかわき、それ以外は特に意識していません。カプセルはやっぱり苦手ですね…カプセルでも不快感がない薬はありますが、ストラテラは自分的にはあまり慣れません。錠剤に変えた方が長続きしやすいかもです。

 

誰でも飲める薬ではありませんが、ADHDで悩んでいる人には良いかもしれませんね。コンサータに比べるとハードル低いし…根本的に治せるわけではないので薬をやめるとまた気が散るのですが、ないより全然ましです。不注意に特にアプローチするかもしれません…ストラテラを始めてから何かを忘れたり無くしたりするのは減ったように思います。

逆に音楽や絵画など芸術系の仕事趣味がある人にはイマイチかもしれません。頭が余計なこと考えなくなるので。アイデアやインスピレーションは脳の余白が生み出すのかもしれませんね…

 

とにかく自分にはベネフィットが多い薬とわかったので今後も飲んでいきます。ボンヤリしなくなる、のはありがたいことです。

うつ病と「あつまれどうぶつの森」は相性が良かった

ここ数ヶ月ずっとあつまれどうぶつの森をやっています。プレイ時間がすごいことになっている…過去やってきたゲームの中でも一番なんじゃないのか。ステイホームの時期もあいまってひたすらやりこんでました。うつ病と相性のよいゲームなんじゃないかと思います。

 

プレッシャーを感じなくていい。スコアやレベルで評価されないので好きに島作りができる。アクションゲームだとどうしても勝ち負けがあるし、そもそも激しく動く画面に操作が追いついていかない。あつ森はのろのろ操作しても楽しいのでそこは大きいです。

 

あとグラフィックが可愛い。これは非常に大きいことです。住民のどうぶつたちが非常に表情豊かなんですよね。400近くいるキャラなのに似通った子がいないのがすごい。そして可愛い子が島に集まってくるとすごく愛着が湧く。この子らのために良い島を作ってあげたいと思う。

ネットではちゃちゃまるがバズってましたが確かに可愛い。変顔をしょっちゅうするので見てるだけで癒されます。

 

あと否定されない世界であること。何をしててもdisられたりせず、自分のやりたいようにやってもよい。たぬきちが借金させてくるけど取り立てしてこないし、先に家を増築してくれるのでぶっちゃけ踏み倒してもいい。

起きる時間をどうこう言われないし寝るのが遅くてもペナルティはない。どうしようとプレイヤーの勝手です。

 

あと島を自由につくれることによる小さな達成感。崖を崩したり川を掘ったりがゲーム後半からできるようになりますが、ちまちま作業するのが好きな人には向いています。焦ってクリアしたがる人はイライラするかと思いますが…

島の構想を考えずひたすら高いがけを作って山の頂上に住民を住ませたりしました。ネットではオシャレな島がバズったりしていますがあれはごく一部のプレイヤーの作品なので…

ひたすらフルーツ埋めたり、魚とったり虫とったり花を増やしたり、島を家具で飾ったりやることはたくさんあります。でもタイムリミットはないので好きな時間にぼちぼちやればいい。収穫したフルーツや木材などで家具を作れるし自宅をオシャレに飾ったり広場のまわりにおもちゃを置いて住民の反応を見たりしても面白い。とにかく住民のグラフィックや表情差分が豊かなので、見てるだけで落ち着きます。

 

コロナ禍の影響もあってひたすらあつ森やってました。YouTubeの攻略動画を流しながらひたすら島を作ったり住民厳選したり…最近は海開きしたので素潜りでカニやホタテをとっています。ネットで知り合った人と島訪問したりもしてます。

 

動ける範囲が小さくてしんどいときも、なんとなくゲームを起動してなんとなく島を見てると癒されます。そういう意味では自分みたいなのには向いているゲームなのかもしれません。

ゆっくりとした世界で過ごしたい方には是非オススメです。

 

双極性障害が落ちついてきた理由

あくまで数年前との比較ですが、双極性障害はましになってきています。無自覚に切れていたりわけもわからず落ち込むのはたまにありますが、クリティカルな波は少なくなっています。寛解というのは早いですが、だいぶ精神面ではフラットになってきています。

薬が合っていた

まず一番の理由として薬があっていて薬物治療がうまくいったからと思います。リチウムやラミクタールのような気分安定薬を入れたことで異常なハイテンションは減っていきました。イフェクサー単体とかリフレックスを入れると瞬間的に上がるのですがすぐに落ちるのでトータルで見るとマイナスでした。今はすごくテンションが上がったりやる気が出ることもありませんが、そのかわり気分の乱高下はなくなりました。これくらいの状態が適切なんだと思います。

会社をやめた

次に大きいのは退職でした。ずっと前の会社を恨みながら過ごしていたのですが、会社から離れて物理的にも距離ができたことで、しがらみが消えたような気がします。この会社にさえ行かなければうつにもならないしアスペルガーなども発覚せずに平穏に暮らせたのにという怨念は、たぶん消えませんが、何はともあれ退職は大きかったです。不信感を抱えながら働いていてもストレスはどんどん大きくなりますし。同期や派遣さんなども次々やめていくのを見て「自分だけじゃない」と言い聞かせていました。

 

引っ越しした

病んでいた環境から新しい場所へ去ったことで、イヤなイメージが薄れていた気がします。うつで引っ越しや退職は大きなイベントなのでおすすめできませんが…自分にとっては有効でした。何も考えずに済む。嫌な地名も目にせずに済む。自分だけの場所を新しく作り直しました。

 

人付き合いを整理した

いわゆるメンヘラの人と距離を置くようにしました。持論ですがメンヘラは移ります。ネガティブすぎる考え方が伝線すると自分も落ち込んでしまうので、そういう人とはフェードアウトしました。距離を置くうえで「なんで?!」ともめることもありましたが、今は落ち着いています。しかし、自分がひどいメンヘラだったときに懲りずに付き合ってくれた人には感謝しかありません…

 

優秀な人に囲まれない

「自分なんかダメだ」がうつを呼び込むのであれば、優秀な人で自分を固めると「こんなに周りは優秀なのに…」と必要以上に落ち込みます。しかもマウンティング気質のひとだと余計疲れます。親しくない優秀な人はかかわりを切りました。嫉妬といったらそれまでですが、精神衛生には仕方ありません。意識高い人にも近寄りません。がんばれもっとがんばれ系の人には生涯つながりを持ちたくない。常にガス欠の人生なんですから、がんばること自体きっついんです。これまでがんばって生きてきたんだから余生はゆっくりしたい。

 

ダメなときはあきらめる

梅雨や台風では落ち込みます。もうこれは仕方ない。自分だけじゃないです、落ち込んでる人はいっぱいいある。寒かったり暑かったり、大雨きたりもう日本の気候ってめちゃくちゃじゃないですか。天災列島に住む以上、気圧や天候に左右されるのは仕方ない、本人のキャパでは無理とあきらめています。抗いようもできない。雷雨を竹やりで追い払えない。自分のせいと思わない。そう言い聞かせています。

 

少なくとも過去5年くらいよりはだいぶマシです。自分の扱い方を理解してきたというか…もちろん薬の副作用などで体はガタがきていますが、一番の問題であるメンタル面は年々落ち着いてきています。この調子で波が落ち着いてくれたらいいんですけど…梅雨が明けたら軽躁のターンかもしれない。ならないかもしれない。

とにかく、落ち込みすぎないように、適度に何かのせいにしながら生きていきます。自分のせいと考えても何もいいことないので。

うつ病会社員だけどテレワーク中

近況を簡単に書いていこうかと思います。ここ半年くらいのことは長くなるので…詳しく書いた方が整理はできるのですが、今回はひとまず概要だけ書いていきます。

まず仕事ですが、ある企業とご縁があって働いています。以前のようにゴリゴリ働いて稼ぐスタイルじゃないしそんなのできませんので、まあマイペースではありますが…他人より進みが遅いことを気にならないと言ったら嘘になりますが、まあ仕方ありません。自分の人生なので他人と比べてたらきりがないですし…

コロナ流行の影響で最近はテレワークです。通勤の手間が省けるのは非常に大きいですね。電車に乗って混雑した駅を歩くことがストレスだったと強く感じています。自宅でパソコンいじっているのであれば精神的にも肉体的にも負担は小さいです。「会社にいるだけ」の仕事がなくなったのは大きい…

何も気にならないわけではないです。同年代の人が出世だ結婚だといって変わっていくのは、他人事なのに気になってしまう。病気にならなければもっとうまくできたんじゃないかと思うこともある。こんなはずじゃなかったと落ち込むこともあります。自分の完全上位互換みたいな人を見ると自分の存在価値がわからなくなることもあります。

しかし自虐したところで誰も助けてくれないしそんなのをあてにするほどもう若くもないし…

これからどう生きていくかと言うより、どういうふうにエンディングに向かっていくかを考えることが増えました。

双極性障害の平均寿命が60歳代と聞いたころから、なんかしらの諦めがありました。人と同じような人生を望むことなど無理があると。いかに慎ましく、多くを望まず、周囲に迷惑をかけずに過ごしていけるか、そればかり考えていました。躁状態で相当迷惑をかけましたから。今は薬である程度落ち着いていますが数年前はひどかったし、この先もどうなるかはわかりません。躁鬱のサイクルは歳を重ねるほどに加速するので。

落伍者ながら息も絶え絶えで社会には戻ってきたのでとりあえず体が壊れない程度に社会人らしく生活していこうかと思います。今度は無理しないというかできない。身の丈に合わないことをやらない、理想を持たない。自分はすごいことができるなんて思い込まない。それは躁状態のサインの危険があるから。

常に自分が壊れる危険性を抱えて、それを客観的に見つめられるのかハラハラしてはいます。そのために心境整理としてまたこのブログを使うと思います。こんな重たい話はリアルの知り合いにも言いたくないし、いう必要性もない。

普通に生きることは非常に難しい。自分にはもうそれはできない。望まない方がいい。とにかく自分で自分の世話をするので精一杯です。

ドラえもんみたいのが一緒にいてくれたらいいんですけどね。

お久しぶりです

ずいぶん長い間ブログを放置していました。この間にいろいろあったのですがそれは別の記事に書きたいと思います。

最近頭がぐちゃぐちゃなのでブログで少しずつ整理していけたらと思います。定期的なアウトプットは必要ですよね。

またぼちぼち更新していきます。よろしくお願いします。

生きづらい理由が発達障害だと気づくまでの息苦しさ

 まず最初に言っておきたいのは、発達障害=悪だと安易に結びつけてはいないということ。発達障害だろうと普通に生活している人もいるし、むしろ普通の人よりも飛び抜けたパフォーマンスをしている人もいる。いわゆる「天才」と呼ばれる人でしょう。そういう人たちがいたから人類の文化や科学は発展してきた、それは疑うところがありません。

ただ個人の人生というレベルまで落とし込むと「発達障害で良かった」って言える人って決して多くはないと思います。なんせ「障害」ですからね。生活や人生を円滑に営むのに邪魔な存在だから「障害」なんて呼ばれるのでしょう。

 

人間のなりかたがわからない

つい最近まで自分の性質に気づきませんでしたし、発達障害という言葉も自分には関係ないと思っていました。だから診断されたときはびっくりしましたし、にわかには受け入れづらかった。でも日々を経るごとに地味にじわじわ実感していきました。「ああ、だからだったのか…」「そうか…」と納得していきました。

人間であること。人間なんだから、人間以外のものになることなんてありえないですし、何を言っているんだ?って思うでしょう。でも自分はそれができなかった、本当に難しかった。

思い出すにつれ、尋常じゃなく周りに迷惑をかけてきたし、自分でそれを自覚することも少なかったし、どうして他の人と同じようにできないのか不思議でしかたなかったし、「みんな人それぞれ」とは言うけど、じゃあどうして自分はこんなに息苦しいんだろう、と疑問だった。甘えているだけなんじゃないか、って思い続けていました。

そりゃみんなきれいな球体であるわけもなく、どこかしらザラザラや凹みがあるものですが、それでもどうにか意思疎通してやっていけるのでしょう、それがコミュニケーションという手段を持つ人間のルールです。ところがこれが全然できなかった。

自分が何かを言うと場が止まるし、じゃあ何も言わずにいようとすると「意見を言え」とせっつかれる。しかし場の空気がまったくわからず、何を言えば「その場の正解」なのか全然わからない。だから正解の範囲を簡単に飛越したことを言ってしまい、「あーあ…」とまた落胆される。

人間ならその場に合わせて何かを言ったり聞いたりすることが、自然な成長過程で習得できるらしい、どうやら。じゃあ自分はなんなんだ?何かを取りこぼしているのか?どこからおかしくなったのか?

「自分の世界」しか見ることができないので、他人がどう思うか、さらに「他人の集まりにいるときに、自分をどうポジショニングしたらいいのか、他人どうしのヒエラルキーや親しさ度を推測したらいいのか」ここがさっぱりわからない。

もっと周りを見ろよ!流れを理解しろよ!それ今ここで言うことじゃないよね!とさんざん言われてきました。自分でもどうにかしないといけないのはわかってるんですけど、どうしたらいいのかわからない。それが発達障害に由来するんだとしたら、そういうことか…そうか…ってなります。自分なりにいくら努力したつもりでも社会の正解にはたどり着けず、いつもどこかずれている。自分のやってること、言ってることに自信が持てず、じゃあもう人と関わるのもめんどくさいな…ってなってくる。

 

いや、努力の問題でしょ

自分もそう思い続けていました。病気じゃあるまいし、人間なんだから人間とコミュニケーションができないなんておかしいでしょ。努力すればどうにかなるでしょ…そう思っていろんな本を読み、少しずつゴミみたいなコミュ力を鍛えてはいきました。就活ではステレオタイプな答えさえ覚えておけばどうにでもなるので、なんとかなりました(典型的な、付き合いが続くほどにボロが出てきて好感度が落ちていき最後は音信不通になるタイプです)

 

それでもやっぱり未だにコミュニケーションはよくわからない。「相手の身になって」ってよく言われるけど、想像力が貧困過ぎて、相手の身になって言ってるつもりのことがトンチンカンで怒られることもしょっちゅうある。相手が求めてるボールをすぐ返せるようになりたいのですが…相手が言外に含むサインや意図がわからない。だから言葉どおりに解釈するんだけど、もちろんそれは正解じゃない。よくわからない。

人間のレベルがなかなか上がらない。経験値を積んでもレベルアップにつながらない。他の人たちがチートに見えるほどどんどん人間レベルを上げているのに、自分ははねるしか覚えないコイキングみたいになっている。ギャラドスになる日がいつなのか、果てしなく遠くて泣ける。

本当はいちいち「障害」なんて呼ばなくてもみんなどうにか暮らしていける世界が理想なんでしょうけど、今の社会では自分のような人種は障害という属性を持たないと、とても生存しにくい。発達障害という言葉には自分はあまり好印象を持ちませんが、自分の生きづらさの正体がそれだとわかったのは、発見なのかもしれません。

果たして自分が社会生活に支障ないまで人間らしく擬態できるときがあるのでしょうか。きわめて謎ですが、生きていくしかないのでどうにかしていきます。

普通の人であることにこだわることに疲れてきた

お久しぶりです。気づいたら1ヶ月以上もこのブログを放置していたんですね…なんか書く気が起きませんでした。しかし最近色々あって、感じたこともたくさんあるので、だらだらと書いていきたいと思います。

 

普通とはなんなのか。それを目指してどうするのか

現状自分は発達障害気分障害を抱えているので、世の中で言うところの普通の形ではありません。気に入らない言い方ですが「定型」ではありません。しかし、それが悪いことなのだろうか、好きでこうなってるわけでもないのに勝手にレッテルを貼られて異常者よばわり、社会の外敵みたいに扱われるのはおかしいですよね。

最近思うのですが「変な人」「普通の人」「障害者」の境目なんてどこからなんだろう、どうやって決めているんだろう、時代や社会によって変わっていくものに振り回されるのがとてもしんどいんじゃないかってことです。

明らかに見てわかるハンディキャップならともかく、見えない障害に関しては「そもそもそれを障害とラベリングせざるをえない」ことがしんどいです。たとえば発達障害なら、50年前なら「偏屈な人」「変わってる人」ですんでいたのに、今では生まれてすぐにその兆候が見られたら療育スタート…それがいいか悪いかは別として、「定型」の定義が本当に狭い時代になったんだなと思います。

 

変な人、多くない?

でも思うんですけど、発達障害と診断されてなくても変なひとっていっぱいいませんか?いわゆる天才なんて変なエピソードがないと一人前といえないくらいだし、クレーマーだのパワハラだのモラハラだのするやつなんて、医学的診断されてなくたってやべえやつでしょう。

もっと広い言い方をするなら、稼いだお金を全部二次元にそそいだり、アイドル追っかけたり、ライブにいきまくる人たちだって「変な人」になるわけです。マニアじゃないですか。そもそもマニアって「躁」って意味ですし。変なことが社会的に障害にならなければ個性ですまされる、「変わってる」でどうにかなるのでしょう。

最近「ふつう」「まとも」の定義がよくわからないです。障害をクローズにしても安定して働けるくらいの状態をふつうと言うのであれば、それは年々厳しくなってきてるので、嫌なな社会だなって本当にそう思うんですけど…

柄が悪い人もルックスが奇抜な人も敬語を使えない人も「変な人」ではあるのに、社会生活で問題がないなら「個性」で終わるんですよね…もしかしたら、社会がさらに今後厳しくなれば、絵が下手な人、運動音痴、音痴も「障害」扱いされたりするのかもしれません。

個性と障害って裏返しだな、と思います。今はどんどん生きづらい時代が来ている。四角にきれいにきりそろえられた人じゃないと「定型」のラベルをはってもらうことができない。それ以外はアウトレット扱い。薬物治療や療育は進んでいますけど、本当はそんなの必要ない社会だったらいいのに(社会での生きづらさを抱え続けた結果、うつ病などの二次疾患を引き起こして苦しむわけですし)

今後も「定型」「ふつう」が減っていく社会に突き進んでいくんですかね。私はへんてこな人間だろうと極力個性で許してもらえるような、穏やかな時代になってほしいものですが、今の治療方針は「とにかく定型に近づけ」なんですよね。

とがった部分やへこんだ部分をナイフで切り落としていくのが、今の時代のやり方のようです。ほんとめんどくさい。マイノリティな要素をまったく持っていない人なんているもんなんですかね?定型ってなんなんだろう。よくわからん。

最近

しばらく更新していませんでした。更新する気力も失せていたというか…いろいろやばくてくたばっていました。

めっちゃしんどい

今年も今年でこの時期はしんどい。すさまじい暑さが緩和されただけまだましだけど、しんどい。なんかもう部屋でトドのように倒れています。わたしはなにをしているんだろうか…わたしはなんのために食べたり寝たりしているんだろうか…と考えています。暇だと人間ろくなことを考えないそうですが、とりあえずしんどいので忙しく予定を詰めることも出来ない。人と約束したって守れない、そしてそんな自分が嫌になる。病院くらいかな…ちゃんと予定どおり行けているのは…

なんかもうモチベが落ちています。生きるモチベが落ちている。生きていても張りがないというか、面白みがないというか、ただただしんどい。ほんとなにもない。つらい。

 

薬が効かない

例によっていろいろ薬を足したり変えたりしてるのですが、効果を実感できない。増量してもイマイチだし、どっちかというと副作用が多い。効果が出るのなら多少の副作用はあきらめるタイプなのですが、効果なしで副作用だけってどうなのよ…それとも気づいてないだけで実は効果が出ているのか?よくわからない。とりあえず診察費が高い。薬も高い。自立支援してるけど高いよ…ほんと高い…貧乏人の財布には痛い…

人体実験のごとく薬をぶち込んで暮らしていますが、症状落ち着かないわ金はかかるわでもうめちゃくちゃです。なんかもう嫌だなあ…なんかもうなにやっているんだろうか…これを飲む意味ってほんとあるの?って諦めの心地です。どうせならちゃんと効いてくれ…

 

精神障害雇用の現実

やっぱりあれですね、精神障害が一番難しいと思う。安定した雇用を本人が望んだとしても、症状があまりに安定しないから、そんなの向こうも雇いたがらない。悲しい話ですが、精神障害が社会で働くにはほんとにハードルが多い。障害雇用の給料も微妙ですしね…障害年金と組み合わせたらなんとか、って感じなのかなあ…

世の中はダイバーシティと言って傷害者にも雇用あるべき、と働きかけますが、実際それを忠実に実現するって難しいです。職場がパーフェクトに配慮できてたらありかもしれませんが、それでも本人の突発的な症状発現が、トラブルの種になるのは間違いないし…元気よく就職したと思えばそれは躁状態で、あっさり鬱に引っ込んで退場、とかもあるし。かといって就労移行支援…個人的には、あれはあまり好きじゃありません。

やっぱ在宅ワークとかと組み合わせて、贅沢せずに暮らすのがポイントですかねえ。どうせ病んでるからお金を使う対象がないし…ああ、躁ならパーと使うのか…恐ろしいわ…

 

精神障害での障害オープンでさえしんどいのに、クローズ就労は自分には絶対できない。また酷く再発するに違いない。多少のお金が稼げたとしても、それで再発したらほんとに意味が無い。健康がないと他のすべてがダメになる。

 

は~しんどい。そういう現実を目の当たりにしながら、日々をカメのように少しずつ進んではいるのですが、なんせモチベが上げられない。エンジンかからない。人はなんのために生きるのか?食べる意味とはなんだ?とか考え出しても無意味なのですが、ほんとそんな感じです。毎日毎日しんどいわ…よく「うつトンネルを抜けた」とか言いますが、このトンネルいつまであるんだよって感じです。もう飽きたから、早く外に出してくれ…平穏な日々をくれ…もう疲れたよ…

かなり毎日ローペースです。不安も絶えない。私はこれからどこへ行くのだろうか…

生きることはほんとに手間がかかる面倒なことです。

24時間テレビという感動ポルノに加われない精神障害

やはりわかっていたことですし毎年のことなのでもう諦めていますが、やはり精神障害が表に出ることはありませんでした。精神障害24時間テレビには需要がないようです。このまま精神障害は闇の存在としてテレビに晒されることもないのでしょう。

撮るメリットがない障害者

つまりは感動ポルノとして需要のある障害者だけがテレビに出るのです。テレビ画面でいかにもかわいそうに見える同情しやすい障害者に注目が集まるのです。誰の目にとっても共感しやすい障害者だけがテレビに映る意味があります。チャリティーの対象にするにはそういう人間が必要なのです。わかりやすさ、それだけが大切です。

 

しかしどうでしょう、精神障害は?うつ病は?双極性障害は?発達障害は?テレビに映っても受けが良いでしょうか?

本人は困ってることが多いのに、それを共感してもらえることがない。パッと見は普通の人間にしか見えないから、精神障害の症状なんて甘えとしか受け取ってもらえない。昔よりは理解が進んだかもしれませんが、精神障害は未だに他人には理解されづらく、障害者のカテゴリにはなかなか他人には認められづらいものです。

 

そういう存在にはテレビに出るには使えない。感動ポルノのメンバーとしては意味が無い。チャリティーを促進する能力がない。プロモにならない。マスコットにもならない。感動を呼び起こさない。

それでしかない。精神障害の認知などその程度ですし、社会に認められづらいものですし、お金にならない、撮影する価値のない存在です。

 

精神障害の暮らしをドキュメントしたところで

たとえば足や手がない人が困難を乗り越えるのであればその映像は需要があるかもしれません。わかりやすいハンディキャップをかかえた人間が、その問題を乗り越えていく映像は素晴らしく、感動を誘うものなのでしょう。なにも考えずに一瞬で感動できる、インスタントに涙を流せる、そういうコンテンツが、あの番組の求めるものなのでしょう。

 

しかしです。精神障害がハンディキャップを乗り越える姿、それは果たして絵的に感動を誘うものでしょうか。

たとえば朝起きられなくて会社に行くのも吐き気がして駅で倒れるような精神障害の人が、無事に会社までたどりつくチャレンジをしたとします。それは障害者本人には途方もない困難ですし、苦しいしつらいし一所懸命乗り越えるべきものなのですが、そうじゃない人にとっては?

「朝起きて出勤するとか当たり前じゃん」「なにがそんなにつらいの」「おまえよりつらい思いをしてる人なんていくらでもいる」「そういうのってナマケモノなんじゃないの」

理解されないでしょう。五体満足の人間がのろのろ出勤したところで、その映像に何の感動ポルノ要素があるでしょう?涙を流させて、地球を救う効果があるでしょうか?

 

障害者以外にしてもそうです。私は芸能人がマラソンをするあの企画が理解不能なのですが、あれで感動する人もいるのでしょう。頼まれてもないのに毎年律儀に走ってるんですから、あれはあれでチャリティーとしてお金を集める意味があるのでしょう。少なくとも精神障害が日常生活を送るためにがんばるドキュメンタリーなんかよりは。

あとは有名ジャニーズがパーソナリティを務めたり。人気者が番組を進めることで視聴率は上がりますし、アイドル×障害者の企画は金と感動を集めます。チャリティー番組としては最適の組み合わせでしょう。

 

ノーギャラじゃなかったり謎の多い番組なのですが、それでも主目的である金を6億以上も集める効果はあるのですから正解なのでしょう。

 

テレビ向きではない障害者

たとえば身体ハンディキャップがある障害者が生放送でパフォーマンスをするにあたって、多少おぼつかなかったりすることはあっても「決定的なミス」が起きることは少ないでしょう。

精神障害が例えばダンスをする企画があったとしましょう。これが「精神障害が頑張ってダンスを達成した」なら、「なんだ、病気なんてやっぱりうそじゃん」「たいしたことないのに障害者ぶってるんだ」と思われるし、「そもそもスタジオまで来れない」状況になったら放送が破綻します。

 

精神障害がテレビ、とくに生放送にでられないのは、そのタイミングでの出演が本当に難しいからでしょう。誰もその日時にテレビに出られると断言できることはない。たとえ症状がやばくて外に出られなかったとしても、「甘えるな」「病気をいいわけにするな」「やっぱり精神障害はネタにできない」「そもそも精神障害で企画組むなよ」となる。チャリティー効果が弱まり、金を集める効果がなくなり、感動ポルノとして意味を持たなくなります。

精神障害がパフォーマンスに成功しても失敗しても、感動ポルノへの貢献がとても難しい。

 

障害者は身体だけじゃない

マイノリティである障害者は、なにも身体だけではありません。あの番組ではとにかく身体障害者だけがマイノリティとして取り上げられていますが、そうじゃない人間だって多数います。精神障害に限らず、見えない障害を持っている人だって沢山います。

 

24時間テレビ身体障害者を使って感動ポルノを成立させ、カネを集める番組なのであれば、精神障害ふくめ見えない障害者はお呼びじゃありません。金を集める力がない障害者なんて、あの番組には必要ありません。

「障害者」にスポットライトを当てる番組なのであれば、見えない障害者を表に出す試みがもっと増えてもいいのではと思います。それにより募金は減るでしょう。感動を誘うショット、いわゆる撮れ高は減るのですから、一目でわからないマイノリティのチャレンジなんて、認知されそうもありません。

 

一昔前なら障害者=身体障害者だったかもしれませんが、現代ではそうじゃありません。あまりにも障害者は多いし、マイノリティのバリエーションも多い。

そういう人達にスポットライトを当てないのは、番組としては時代遅れと思わざるを得ません。今の社会では、たくさんの人がマイノリティの要素をかかえて暮らしています。あきらめている人もいますし、それを乗り越えるために日々戦っている人もいます。

それを取り上げるのがマスメディアとしての大きな機能と思うのですが、24時間テレビにそれをやる気があるのかは、疑問です。あくまで最大限に金を集めるのであれば、現在のやり方は成功してるのでしょうから。

 

今後は見えないマイノリティも含めて取り上げていく番組としてシフトチェンジするのであれば、24時間テレビはもっと面白いものになるのにと「個人的に」思います。その意見が世間としては少数派なのでしょうけれど。

 

あの番組を見る度に不快感はあります。障害者を使って「かわいそうな人達を思って涙を流す私」に浸らせるあの番組は偽善でしかないし、感動ポルノでカネを取る構図は嫌いです。それでも無くならないのは、感動ポルノを求めている人は世の中には多くて、そのためにカネを募金する人も多いからでしょう。

特定の障害者を悪くいう訳ではありません。その人のハンデを使って「かわいそう…涙」を誘う番組のやり方に不満があるのです。

 

もっと様々なマイノリティを取り上げる番組になればいいなと思うのですが、それが24時間テレビの趣旨からズレるのであれば、この先も従来のスタイルで続くのでしょう。

感動ポルノの一員に加わりたいわけではありませんが、あの番組の「障害者=身体障害者」みたいな取り上げ方には、これまでもこれからも疑問を持つのでしょう。

双極性障害の軽躁フェーズが終わってうつ転。体が痛い、気分が悪い

軽躁が終わりました。体がそう言っています。もう終わりだ、今年はあとは下り坂だ。そう告げているのが聞こえます。もうここからは…例年のうつ大会の始まりです…もうだめだ…

就活がしんどすぎる

軽躁気味のテンションであれば就活もなんなくこなせるのですが、それが終わってしまってからでは、あったもんじゃないんです。もう体が動かないときたらありません。まったく手足が動かないし、頭もさっぱり動かないし、全然全身が使い物にならない。何も建設的なことをできない、考えられない。行動も計画もあったもんじゃないんです。

今年の初めから就活みたいなことはしていました、就労移行支援に通って見たり…ハローワークで求人を探したり相談したり…面接にも行きました。

 

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 ところが精神障害発達障害持ちには世の中は厳しかった。「うちは障害も大丈夫だよ」と言っていたところに書類で双極性障害発達障害の旨を書くと、「今回はご縁がありませんでした」みたいなことを平気で返してくるのです。いったいなんなんでしょう。あの人たちにとって障害は何なんでしょうか?精神障害だって障害の一部だと、認識していないのでしょうか…

とにかくこういうことが多い。双極性障害発達障害でスムーズに働けない可能性がある、それをカミングアウトするとすぐに引かれる、それの繰り返してで疲れていました。

 

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 そうこうしているあいだに真夏のピークが去って天気予報士もテレビで言ってたんですよ。それでもいまだに街は落ち着かないように見えるけど私はもう下り坂なんですよ。

そもそも私は努力が嫌いです。報われる努力ならなんとかがんばるかもしれませんが、本当はできるだけ楽をしたい。しんどいことなんてしたくない。したら潰れてしまうから安全に暮らしたい、本当はそう思います。意識高い系どころか意識不明系です。

夏が近づくと一時的に意識は高くなるのですが、盆が終わるともう駄目ですね…うつの陰が忍び寄って頭にのしかかってきています。気分が悪い。歩くだけで気持ち悪い。

 

 

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体中が痛すぎて話にならない

うつモードに入ってから、気分が悪いのはもちろんのこと、体がめちゃくちゃ痛いんですよね。関節を燃やされてるみたいな激しい痛みがずっと伴ってて、非常に不愉快で、外を出歩くだけでもしんどくて、もうやめてくれ…ってなります。ひじとひざがめちゃくちゃ痛くて、歩くのもしんどい。寝てるだけでもしんどい、痛い。スマホを持つのさえ痛い…

こういうことを言うと「みんなしんどいんだからがんばれ」だの「自分だけ大変みたいに思うな」だの言われるかもしれませんが、自分の苦痛と他人の苦痛を比べることは意味がありませんし、じゃあこのしんどさを誰か代わってくれませんか?と言いたくなる。1年の8割くらいはうつで倒れていないといけないこの病気を、怠け病とかで済ませられるのであれば、誰かそれを証明してくれませんか?週5フルタイムができるなら、そりゃしたいですよ…でもそれをしたら、速攻アウトなのが目に見えているから困っているんです。

 

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 発達障害にしてもそうで「そんなのみんなそうだよ」「普通だよ」「わたしも同じようなことあるよ!」と簡単に反応されるのですが、違う。当事者にしかわからないことなのですが、違うのです。「忘れ物をする」ことが定型には100回に1回だとする。発達障害には10回に1回だとする。これは同じように「忘れ物をする」と言ってもいいかもしれないが、現実社会での迷惑のかけっぷりがどっちが大きいかは、明らかじゃないですか。「誰にでもあり得るまれなエラー」が「日常的」に発生することにより常に生きづらさを抱えるしかない人種、それが発達障害です。

つくづく現代は生きづらく、普通の人間としてのハードルが高い世の中と思います。昔ならちょっと変で済まされていた人たちが今や発達障害というラベルを貼られてうようよ世の中にいるわけですから。それがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。早期療育にどれだけの効果があるのかも知りません。ひとつ言えるのは、年々「定型」のハードルが高くなってるってことです。

 

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社会人をできる自信がない

やる前からぐちゃぐちゃ心配しても仕方がない…それはその通りです。ただ致命的なエラー(希死念慮、自分や他人への強い攻撃性)が出ることが恐ろしくて仕方がない。去年の秋とか、発狂って言葉がぴったりの暴れぶりでした。

 

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 人間関係のトラブルもあって、理性の糸がぶちっと切れて、言うだけ言って相手を罵倒して、それでも飽き足らずに部屋の中を荒らして、自分が自分じゃなくなるくらい暴れていました。手負いのクマみたいになっていた私をリスパダールでどうにか鎮静されてくれた先生は「これはやばい」と言っていました。

普段なら嫌なことを言われても聞き流すとか「馬鹿なこと言ってるわ」程度で済むのですが、うつ転の途中(混合状態)でクリティカルにムカつくことを言われると、もうオーバーキルしないと許さない勢いで罵倒する。昔から自分は親しい人と絶交することを何度も繰り返していましたが、今思えば混合状態のメンタルボロボロでの挙動だったのかもしれません。やられたら絶対にやりかえす。攻撃性が非常に強くなる。

こんなんでは職場でも暴れてわけのわからないことになってしまうかもしれない。まともな社会人として生きていけないかもしれない。頭を抱えてしまうわけです…

 

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 まだ人為的なものが原因でうつになるのなら対策も立てやすいのですが「天気」「季節」なんてどうしようもないじゃないですか。天気の子でも呼びますか?雨が止まらない東京とか絶対うつになるわ。

甘えで済むのなら簡単な話なのですが、日本に400万人以上いるとされる精神障害の人たちが「甘えをやめる」ことで障害者じゃなくなるなんて、そんなのありえるわけがない。それが実現するのなら社会保障費も浮くし納税者として復帰するし、メリットが多くあるにもかかわらず、それは実現しない。ということは気持ちや根性の問題で治せるもんでもないってことです…

働くには安定性が一番大切であり、いつおかしくなるかわからない、体力や気力に重大な問題がある、精神障害者の就活は非常に厳しいものと感じています。どうしたらいいのやら…

友達、恋人がうつ病の時の対処法。うつ病は移る。優しくするのが正解なのか?

親しい人が病気になったら、どうにかしてあげたいと思うのが人間として必然的な感情です。困っていたら手伝いたいし、つらいときには助けてあげたい。そうすることは何も悪くないし、むしろ推奨される行為である。

しかしメンヘラ、うつ病の場合はどうでしょうか。かならずしも相手から離れないことが、お互いのためになるのでしょうか。

 

うつは移る

実体験からして思うのは、これです。わたしは知人にメンヘラと呼ばれる人がいましたが、この人と関わる事に自分が闇に引きずられる思いになりました。暗いメールが頻繁に届く、なにを言っても向こうには届かない、感謝されるどころか逆ギレされる、お前のせいだと責められる、夜中だろうとお構い無しに電話がくる。

最初は大したことじゃないと思っていましたが、こんなのが毎日毎日続いていたら疲れ果ててしまいます。憔悴してしまって自分もメンヘラになってしまいました。相手のためになりたい気持ちはありますが、自分のキャパシティをあまりにも超えていた。辛かったです。はっきり言うと。

うつは移る。よほど強いメンタルじゃないと、相手に引きずられてしまう可能性がある。

 

そばに居る覚悟

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骨折や風邪と違って治るめどがつきません。簡単には治らないし一生ものになることもある。何回も再発する場合もある。私のような双極性障害なら、何度も波を繰り返す。しんどいうつの時期があるかと思えば、活発にうごきまわる時期もある。こんなのを何年も繰り返す訳ですから、本人はもちろんのこと周りの人間も苦しむのです。

他の病気と同じように簡単に考えていると恐らく後悔します。いつか治るだろうと、思っていてもなかなか治らない。期待するだけ無駄というか、疲れてしまいます。だって本人は2ヶ月以内に治す!とか言っていても治るわけないんですから。自分の気持ちだけで治せるならそんなに簡単なことはないわけです。

そういうメンヘラとそばにいるには、覚悟が必要です。いつになるか分からない寛解のときを待ってそばにいないといけないんですから、はっきり言ってつらいです。自分も苦しむ覚悟を持たないといけません。

 

綺麗事では終わらない

もしも「ツレがうつになりまして」みたいなケースが全てに通用するのなら、うつ病患者と周囲のものも希望を持てるでしょう。ただ実際、全員がそのようにできるかというと非常に難しい。

毎日布団にくるまってシクシク泣いてるだけ、仕事もしなければ家事もしないわけです。そういう人と毎日一緒にいてストレスを一切感じない人は少ないでしょう。

友達ならある程度の距離を持てるのですが、恋人や配偶者がうつ病の場合、本当に大変。この人とこの先も一緒にいられるんだろうか?という不安もあるし、簡単に別れてしまったら向こうが病んでしまわないか心配になる。それでも、一番守るべきなのは自分の身です。

綺麗事で済むのであれば美しいのですが、現実にはたくさんの人が血や涙を流します。つらくないわけがないんです。

 

あなたも鬱になる可能性はある

感染症ではありません。ウイルスもないし空気感染もしません。それでもわたしは言いたいのですが、うつ病は移る。だから自分から人間関係は遠ざける。傷つけたくない人からは逃げる。だって、ベッタリ依存してしまったら相手にも酷い目に合わせてしまうからです。

中には変わった人もいて、メンヘラだろうと好き、それどころか何故かメンヘラを好きになってしまうような人もいます。それならウィンウィンかもしれませんが、多くの人は情緒が安定している人を望むでしょう。

メンヘラの傍にいることは大変です。優しくて感情移入しやすい、共感しやすい人はほんとに大変。毎日毎日メンヘラが放つネガティブなオーラにいかに飲み込まれないかが課題です。

適度にほっとくこと、その人に心の全てを支配されないこと、必要以上に構い過ぎないことが大切です。この人なら何でもやっても許してくれると認定されたら非常にめんどくさいです。何かあればすぐに頼り切ってくるし、あてにされるし、金銭的な被害もあるかもしれません。メンヘラであることを利用して他人を食い物にするやつもいるかもしれない。全員がそうではないのですが、そういう人がいることも否定は出来ないんです。

 

距離を置く、別れることも必要

何年も続く、再発もある病気について、パートナーに最後まで寄り添う覚悟があるならそれも良いでしょう。しかし自分が傷つかないために離れる選択肢も否定されてはいけないと思います。

いくら親しくても重い感染症を患う人には安易に触れないように、うつ病というのもそういう存在であると思います。病室の中にいる存在と思わなければならない。見えないドアを設置しておかないといけない。ゼロ距離で来られたらお互いが苦しむことになるのです。

わたしはうつ病期に付き合っていた人とは自分から切りました。これ以上一緒にいると相手を巻き込むとしか思えなかったからです。自分だけならともかく周りをうつにはしたくなかった。自分が迷惑をかけてはならないと思った。すべての人がそうすべきとは思いません。それでも、メンヘラの感染力は物凄いです。下手に周りを傷つけないために、辛くても人間関係を切らないと行けない時はあります。

とても大切な人であれば、引きずられるリスク覚悟で一緒にいたらいいでしょう。でも少しでもつらい思いがあれば、共倒れになります。暗い闇に取り込まれてしまったら長い間出てこれません。メンヘラが他人の存在ではなくなるのです。

「支える」と言うだけなら簡単ですが現実はつらい。家のことはなにもできないし情緒不安定だし相手を傷つけてばかりかもしれない、そのことをきれいさっぱり忘れてるかもしれない。支えるものはとてもつらい思いをする。

だから全て抱え込む必要はないと思います。自分がつらければ逃げる選択肢もある。自分の人生を相手に破壊される必要はない。

闘病を支えるといえばドラマチックな美談に聞こえるかもしれませんが、現実は壮絶です。メンヘラが持つ真っ暗な世界、ただただ辛いしか存在しない世界と共生することは、ひたすら苦しいです。イラつくかもしれないし、自分も泣きたくなるかもしれない。自分の人生が壊されるリスクがある。

甘く考えないでください。自分がメンヘラにされてしまわないように、メンヘラから距離を置くのも大切なことです。