金曜日の夜をめざして

一人暮らしのリハビリ中アラサー。うつ病とか発達障害とかいろいろ

双極性障害の軽躁フェーズが終わってうつ転。体が痛い、気分が悪い

軽躁が終わりました。体がそう言っています。もう終わりだ、今年はあとは下り坂だ。そう告げているのが聞こえます。もうここからは…例年のうつ大会の始まりです…もうだめだ…

就活がしんどすぎる

軽躁気味のテンションであれば就活もなんなくこなせるのですが、それが終わってしまってからでは、あったもんじゃないんです。もう体が動かないときたらありません。まったく手足が動かないし、頭もさっぱり動かないし、全然全身が使い物にならない。何も建設的なことをできない、考えられない。行動も計画もあったもんじゃないんです。

今年の初めから就活みたいなことはしていました、就労移行支援に通って見たり…ハローワークで求人を探したり相談したり…面接にも行きました。

 

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 ところが精神障害発達障害持ちには世の中は厳しかった。「うちは障害も大丈夫だよ」と言っていたところに書類で双極性障害発達障害の旨を書くと、「今回はご縁がありませんでした」みたいなことを平気で返してくるのです。いったいなんなんでしょう。あの人たちにとって障害は何なんでしょうか?精神障害だって障害の一部だと、認識していないのでしょうか…

とにかくこういうことが多い。双極性障害発達障害でスムーズに働けない可能性がある、それをカミングアウトするとすぐに引かれる、それの繰り返してで疲れていました。

 

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 そうこうしているあいだに真夏のピークが去って天気予報士もテレビで言ってたんですよ。それでもいまだに街は落ち着かないように見えるけど私はもう下り坂なんですよ。

そもそも私は努力が嫌いです。報われる努力ならなんとかがんばるかもしれませんが、本当はできるだけ楽をしたい。しんどいことなんてしたくない。したら潰れてしまうから安全に暮らしたい、本当はそう思います。意識高い系どころか意識不明系です。

夏が近づくと一時的に意識は高くなるのですが、盆が終わるともう駄目ですね…うつの陰が忍び寄って頭にのしかかってきています。気分が悪い。歩くだけで気持ち悪い。

 

 

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体中が痛すぎて話にならない

うつモードに入ってから、気分が悪いのはもちろんのこと、体がめちゃくちゃ痛いんですよね。関節を燃やされてるみたいな激しい痛みがずっと伴ってて、非常に不愉快で、外を出歩くだけでもしんどくて、もうやめてくれ…ってなります。ひじとひざがめちゃくちゃ痛くて、歩くのもしんどい。寝てるだけでもしんどい、痛い。スマホを持つのさえ痛い…

こういうことを言うと「みんなしんどいんだからがんばれ」だの「自分だけ大変みたいに思うな」だの言われるかもしれませんが、自分の苦痛と他人の苦痛を比べることは意味がありませんし、じゃあこのしんどさを誰か代わってくれませんか?と言いたくなる。1年の8割くらいはうつで倒れていないといけないこの病気を、怠け病とかで済ませられるのであれば、誰かそれを証明してくれませんか?週5フルタイムができるなら、そりゃしたいですよ…でもそれをしたら、速攻アウトなのが目に見えているから困っているんです。

 

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 発達障害にしてもそうで「そんなのみんなそうだよ」「普通だよ」「わたしも同じようなことあるよ!」と簡単に反応されるのですが、違う。当事者にしかわからないことなのですが、違うのです。「忘れ物をする」ことが定型には100回に1回だとする。発達障害には10回に1回だとする。これは同じように「忘れ物をする」と言ってもいいかもしれないが、現実社会での迷惑のかけっぷりがどっちが大きいかは、明らかじゃないですか。「誰にでもあり得るまれなエラー」が「日常的」に発生することにより常に生きづらさを抱えるしかない人種、それが発達障害です。

つくづく現代は生きづらく、普通の人間としてのハードルが高い世の中と思います。昔ならちょっと変で済まされていた人たちが今や発達障害というラベルを貼られてうようよ世の中にいるわけですから。それがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。早期療育にどれだけの効果があるのかも知りません。ひとつ言えるのは、年々「定型」のハードルが高くなってるってことです。

 

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社会人をできる自信がない

やる前からぐちゃぐちゃ心配しても仕方がない…それはその通りです。ただ致命的なエラー(希死念慮、自分や他人への強い攻撃性)が出ることが恐ろしくて仕方がない。去年の秋とか、発狂って言葉がぴったりの暴れぶりでした。

 

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 人間関係のトラブルもあって、理性の糸がぶちっと切れて、言うだけ言って相手を罵倒して、それでも飽き足らずに部屋の中を荒らして、自分が自分じゃなくなるくらい暴れていました。手負いのクマみたいになっていた私をリスパダールでどうにか鎮静されてくれた先生は「これはやばい」と言っていました。

普段なら嫌なことを言われても聞き流すとか「馬鹿なこと言ってるわ」程度で済むのですが、うつ転の途中(混合状態)でクリティカルにムカつくことを言われると、もうオーバーキルしないと許さない勢いで罵倒する。昔から自分は親しい人と絶交することを何度も繰り返していましたが、今思えば混合状態のメンタルボロボロでの挙動だったのかもしれません。やられたら絶対にやりかえす。攻撃性が非常に強くなる。

こんなんでは職場でも暴れてわけのわからないことになってしまうかもしれない。まともな社会人として生きていけないかもしれない。頭を抱えてしまうわけです…

 

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 まだ人為的なものが原因でうつになるのなら対策も立てやすいのですが「天気」「季節」なんてどうしようもないじゃないですか。天気の子でも呼びますか?雨が止まらない東京とか絶対うつになるわ。

甘えで済むのなら簡単な話なのですが、日本に400万人以上いるとされる精神障害の人たちが「甘えをやめる」ことで障害者じゃなくなるなんて、そんなのありえるわけがない。それが実現するのなら社会保障費も浮くし納税者として復帰するし、メリットが多くあるにもかかわらず、それは実現しない。ということは気持ちや根性の問題で治せるもんでもないってことです…

働くには安定性が一番大切であり、いつおかしくなるかわからない、体力や気力に重大な問題がある、精神障害者の就活は非常に厳しいものと感じています。どうしたらいいのやら…

友達、恋人がうつ病の時の対処法。うつ病は移る。優しくするのが正解なのか?

親しい人が病気になったら、どうにかしてあげたいと思うのが人間として必然的な感情です。困っていたら手伝いたいし、つらいときには助けてあげたい。そうすることは何も悪くないし、むしろ推奨される行為である。

しかしメンヘラ、うつ病の場合はどうでしょうか。かならずしも相手から離れないことが、お互いのためになるのでしょうか。

 

うつは移る

実体験からして思うのは、これです。わたしは知人にメンヘラと呼ばれる人がいましたが、この人と関わる事に自分が闇に引きずられる思いになりました。暗いメールが頻繁に届く、なにを言っても向こうには届かない、感謝されるどころか逆ギレされる、お前のせいだと責められる、夜中だろうとお構い無しに電話がくる。

最初は大したことじゃないと思っていましたが、こんなのが毎日毎日続いていたら疲れ果ててしまいます。憔悴してしまって自分もメンヘラになってしまいました。相手のためになりたい気持ちはありますが、自分のキャパシティをあまりにも超えていた。辛かったです。はっきり言うと。

うつは移る。よほど強いメンタルじゃないと、相手に引きずられてしまう可能性がある。

 

そばに居る覚悟

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骨折や風邪と違って治るめどがつきません。簡単には治らないし一生ものになることもある。何回も再発する場合もある。私のような双極性障害なら、何度も波を繰り返す。しんどいうつの時期があるかと思えば、活発にうごきまわる時期もある。こんなのを何年も繰り返す訳ですから、本人はもちろんのこと周りの人間も苦しむのです。

他の病気と同じように簡単に考えていると恐らく後悔します。いつか治るだろうと、思っていてもなかなか治らない。期待するだけ無駄というか、疲れてしまいます。だって本人は2ヶ月以内に治す!とか言っていても治るわけないんですから。自分の気持ちだけで治せるならそんなに簡単なことはないわけです。

そういうメンヘラとそばにいるには、覚悟が必要です。いつになるか分からない寛解のときを待ってそばにいないといけないんですから、はっきり言ってつらいです。自分も苦しむ覚悟を持たないといけません。

 

綺麗事では終わらない

もしも「ツレがうつになりまして」みたいなケースが全てに通用するのなら、うつ病患者と周囲のものも希望を持てるでしょう。ただ実際、全員がそのようにできるかというと非常に難しい。

毎日布団にくるまってシクシク泣いてるだけ、仕事もしなければ家事もしないわけです。そういう人と毎日一緒にいてストレスを一切感じない人は少ないでしょう。

友達ならある程度の距離を持てるのですが、恋人や配偶者がうつ病の場合、本当に大変。この人とこの先も一緒にいられるんだろうか?という不安もあるし、簡単に別れてしまったら向こうが病んでしまわないか心配になる。それでも、一番守るべきなのは自分の身です。

綺麗事で済むのであれば美しいのですが、現実にはたくさんの人が血や涙を流します。つらくないわけがないんです。

 

あなたも鬱になる可能性はある

感染症ではありません。ウイルスもないし空気感染もしません。それでもわたしは言いたいのですが、うつ病は移る。だから自分から人間関係は遠ざける。傷つけたくない人からは逃げる。だって、ベッタリ依存してしまったら相手にも酷い目に合わせてしまうからです。

中には変わった人もいて、メンヘラだろうと好き、それどころか何故かメンヘラを好きになってしまうような人もいます。それならウィンウィンかもしれませんが、多くの人は情緒が安定している人を望むでしょう。

メンヘラの傍にいることは大変です。優しくて感情移入しやすい、共感しやすい人はほんとに大変。毎日毎日メンヘラが放つネガティブなオーラにいかに飲み込まれないかが課題です。

適度にほっとくこと、その人に心の全てを支配されないこと、必要以上に構い過ぎないことが大切です。この人なら何でもやっても許してくれると認定されたら非常にめんどくさいです。何かあればすぐに頼り切ってくるし、あてにされるし、金銭的な被害もあるかもしれません。メンヘラであることを利用して他人を食い物にするやつもいるかもしれない。全員がそうではないのですが、そういう人がいることも否定は出来ないんです。

 

距離を置く、別れることも必要

何年も続く、再発もある病気について、パートナーに最後まで寄り添う覚悟があるならそれも良いでしょう。しかし自分が傷つかないために離れる選択肢も否定されてはいけないと思います。

いくら親しくても重い感染症を患う人には安易に触れないように、うつ病というのもそういう存在であると思います。病室の中にいる存在と思わなければならない。見えないドアを設置しておかないといけない。ゼロ距離で来られたらお互いが苦しむことになるのです。

わたしはうつ病期に付き合っていた人とは自分から切りました。これ以上一緒にいると相手を巻き込むとしか思えなかったからです。自分だけならともかく周りをうつにはしたくなかった。自分が迷惑をかけてはならないと思った。すべての人がそうすべきとは思いません。それでも、メンヘラの感染力は物凄いです。下手に周りを傷つけないために、辛くても人間関係を切らないと行けない時はあります。

とても大切な人であれば、引きずられるリスク覚悟で一緒にいたらいいでしょう。でも少しでもつらい思いがあれば、共倒れになります。暗い闇に取り込まれてしまったら長い間出てこれません。メンヘラが他人の存在ではなくなるのです。

「支える」と言うだけなら簡単ですが現実はつらい。家のことはなにもできないし情緒不安定だし相手を傷つけてばかりかもしれない、そのことをきれいさっぱり忘れてるかもしれない。支えるものはとてもつらい思いをする。

だから全て抱え込む必要はないと思います。自分がつらければ逃げる選択肢もある。自分の人生を相手に破壊される必要はない。

闘病を支えるといえばドラマチックな美談に聞こえるかもしれませんが、現実は壮絶です。メンヘラが持つ真っ暗な世界、ただただ辛いしか存在しない世界と共生することは、ひたすら苦しいです。イラつくかもしれないし、自分も泣きたくなるかもしれない。自分の人生が壊されるリスクがある。

甘く考えないでください。自分がメンヘラにされてしまわないように、メンヘラから距離を置くのも大切なことです。

サインバルタ(デュロキセチン)を始めて1ヶ月。吐き気、体の痛み、抗うつ効果について体験

サインバルタを飲み始めて1ヶ月過ぎた頃になります。私は双極性障害なのでできれば抗うつ薬は飲みたくないのですが、梅雨時の落ち込みや身体の痛みがもの凄かったので、サインバルタを使うことになりました。

かつてはイフェクサーを使っていましたが、痛みへのアプローチはサインバルタのほうが強いらしいです。ちまちまとカプセルを飲んでいます。薬価は結構高い。自立支援医療を使っているのでそこまで困りませんが。

 

粘っこい頭の「黒さ」が剥がれる

SNRIは効果が出るまでに半月からひと月くらいだそうです。サインバルタもそうです。飲む前はどっしりと頭に黒いものがのしかかっていました。目の前のものが見えてるようで見えなくて文字は読めないし、食べても味覚は働かないし、生きてることに虚しさしかなかった。

サインバルタを飲み始めてからは、そういう頭の上のフィルムがペリペリと少しずつ剥がれてるような気がします。うつだと正常じゃないメガネをかけて生活せざるを得ませんが、それを外せた感じ。文字を読むのはあいかわらずしんどいし書くのはさらになんですけど、前よりはマシです。

気分は「安定する」というより「上がる」感じです。ここが懸念事項です。というのも、うつ病だとどうかは知りませんが、双極性障害的には「上がる」のは必ずしも良いイベントではありません。上がったら必ず下がる。そのアップダウンがメンタルにもフィジカルにもつらい。

リチウムやラミクタールも併用しているので、極端なアゲアゲにはならないと願ってはいますが、例年夏は軽躁ぎみになるので、今年もどうなるやら…

気分安定薬を飲まずにSNRIだけ飲んでいた時期もありました。その結果、一時は爆発的にテンションが上がってまるで復活したかのように見えるのですが、パワー使い果たしてすぐに落ちます。この復活状態を勘違いして復職したんですけど、やっぱダメでした。山があれば必ず谷があります。サインバルタもそうなのでしょう。

双極性障害と分かってから色々調べましたが、やはり軽躁で調子に乗るとダメ。必ず後でうつのターンがやってくる。それは台風や低気圧、季節の変わり目で色濃く現れます。

サインバルタは頭の黒いフイルムをスムーズに除去してくれますが、それで治ったと確信したらダメなのでしょう。コントロールが大事。

 

気分が悪い

胸焼けするような感じ、めまい、眠くなる等の症状がついてきます。カプセルが苦手なので飲むのは毎回大変です。錠剤あればいいのにな…

朝に飲むのですが日中の眠気は若干あります。カフェインで除去できるときとそうじゃないときがあります。目が覚めるようにテンションが上がる反面、どうも疲れやすくてそれで気分が悪くなるようです。省エネで生きないとすぐにしんどくなるんですよね…

気持ち悪い感じはあります。吐き気というか喉の奥がべたっと張り付くような不快感はあります。内臓がちょっと疲れた感覚というか、二日酔いの気持ち悪さに似てるというか…飲み続けたら慣れるそうなので、まあ我慢するしかありません。

 

身体(四肢)の痛みは軽くなる

サインバルタは腰痛や神経痛にも使われているそうです。あまりにも体が痛くて主治医に相談したら「サインバルタが痛みにも効くから」と処方されました。

リリカも使っていたのですが、サインバルタのほうが自分的には効果を感じます。うつの症状なのかとにかく腕も脚も大荷物を引きずるように重かった。それが軽減したように感じます。疲れるし体力が増えたわけでもないのですが、理不尽なまでの苦痛は無くなりました。腰痛とか謎の手先の痛みとかもマシになったかな?個人的にはこれが結構大きいです。

痛みのメンタルダメージはきついです。ネプチューンの名倉さんの話もそうですが、常に痛みがついてまわる生活は本当に気が滅入るし、ストレスを強要される。寝ても覚めても痛いわけですから、絶望する。ただでさえメンタルしんどいのに体も痛いからどうしようもない。気分転換ではどうにもなりませんからね。

サインバルタで身体の痛みがましになったのは大きいです。双極性障害といえど、飲めるのであればこれを飲みたいかな…気分安定薬だけでは、痛みへのアプローチはあまり強くない気がします。ロキソニンのように飲めばすぐ効く系じゃないですけど、気づいたら体がなんか軽くなってる系としては有効なのでしょう。

あ、あとシャンビリに関しては怖いので主治医に確認しましたが、一定以上の量を飲んでいたのを減らしていくと、やはり発生することはあるみたいです。イフェクサーで私は酷いシャンビリを経験して、ろくに歩けないくらい辛かったのですが…サインバルタも同様のことが起きるのかもしれない。

まあリスクとベネフィットの兼ね合いなので、抗うつ効果、痛み止め効果が優れているならサインバルタは使います。便利な薬とは思いますので。

 

双極性障害抗うつ薬を使うこと

主治医は積極的ではありません。散々実感してることなのですが、うつを取り除くための対策で抗うつ薬を使うと軽躁にブチアゲられる。そしてうつで叩きつけられる。これを何年も繰り返してるわけですから、もういい加減学習しなきゃいけません。

軽躁はその最中より、後から振り返って「いま思えばやばかったな自分」ってなることが多い。発症前の自分を振り返ると、どうしても正気とは思えない行動に出ています。非現実的なスケジュールで弾丸旅行したり、特に欲しくもないブランド物を買い漁ったり、意味もなくいろんな人に連絡をとったり、高揚してると思ったらいきなりキレ散らかしたり、お手本のような軽躁なわけです。さすがに家や車を買うレベルの躁はまだやらかしていませんが…自分の中で物事の価値観が大きく狂う期間が、1年に何回か必ず訪れるわけです。

本来はリチウムやラミクタールなどの気分安定薬を用いて躁鬱の波を落ち着けるのが正解なのでしょう。私だってドバドバ薬を飲みたいわけじゃないですから、必要最小限で済むならそうしたいです。

しかし、やっぱりうつ期がしんどい。梅雨とか台風、秋の始まり、真冬はやっぱりダメ。いくら気合いや根性、運動やマインドフルネスといえど、ダメなもんはダメなんです。そうなると抗うつ薬が1番手っ取り早い。私は意欲がペシャンコになりやすいので、ノルアドレナリンを出してくれるタイプの薬が向いている。

また痛みもきつい。頓服とか湿布では神経痛は抑えづらいので、やはりサインバルタを使う方が早い。痛みが消えるとより動き回るようになって軽躁フェーズに近づくこともありますが、やっぱり痛いもんは痛いし、取り除けるならそうしたい。うつと痛み、両方に作用してくれるのがサインバルタです。

いろいろ薬は試してきましたが自分的にはSNRIが合っています。リフレックスとかちっとも効かなかったし、カリフォルニアロケットは全く意味が無かった。パキシルも意欲には全然ダメだった。エビリファイは効いてたのかなんなのかよくわからない。

気をつけるべくは軽躁です。特に真夏は軽躁になる時期なので、ここで走り回ると確実に秋で潰れます。今年こそちゃんとコントロールしたいのですが…

双極性障害抗うつ薬を使うのはスタンダードではないのかもしれませんが、うつと痛みに効く薬があるなら、使うしかない。サインバルタは今のところ、うつのフィルムを剥がしてくれるし身体中の謎の痛みを和らげてくれるので、信頼性は高いです。

様子を見ながら治療していきます。

精神疾患、発達障害ありだけどヘルプマークを持って電車に乗るのをやめました

私はメンヘラです。精神疾患発達障害があります。具体的なは双極性障害二型と、アスペルガー症候群ADHDです。メンヘラ欲張りセットです。生きにくくてしかたありません。子供の頃からトラブルばかりでしたが社会人になっていよいよダメになり、会社を辞め、就活も苦戦し、やさぐれニートしています。天からお札が降ってきたらいいのに。

メンヘラ自認済のわたしですがついこの前までヘルプマークを使っていました。区役所からもらったものをバッグにつけて電車に乗り、1年くらい使用しました。

しかし今は使っていません。ヘルプマークを使ってもあまり意味が無いとわかったからです。

 

まず座れない

朝や夕方は満員電車です。そんな時間帯に乗ったところでヘルプマークが見える人なんていない。だいいち人まみれで優先座席が遠すぎる。つかその場にいるだけで精一杯。人をかきわけて座らせてもらおう、そう考えるだけでしんどくてめんどくさくて、じゃあもういいや…ってなる。昼間のガラガラならまだいいんですけどね。ガラガラならヘルプマークがあろうとなかろうと座れますし。

 

そもそもヘルプマークって認知されてんの?

電車の広告にたまにヘルプマークを見かけますが、どうにも存在感が弱い気がします。マタニティマークと違ってパッと見で意味がわからないし、マジでスイスファンにしか見えないデザインなので、あれの意味が広く浸透してるとは思えません。自分が当事者でないのなら多分認識できていない。そもそも「見えない障害」がある人は見た目は普通なわけで、そんな人が赤いマークをぶら下げていても目につかない。「車椅子」「大きいお腹」「高齢者」などわかりやすい特徴がないと人は動かない。

 

「そこ座るなよ!」

優先座席に座っていたら言われたことです。他にも優先すべき人はいるのになんでお前が座るんだと言われ、ヘルプマークを説明してもいいわけをするな!と返されました。しぶしぶ立ち上がりましたが、不平しかありません。

見えない障害があるから座っていると言っているのに「俺には見えないんだからお前は障害がない」と判定されたら意味がわかりません。日本語通じてる?この人は内臓という概念が無かったのでしょうか。人は髪と爪と皮膚だけでできてると思ったのでしょうか。

早い話、健康にしか見えない俺より若い人間が優先座席に座るなんて許せない、甘えていると言いたかったのでしょう。時代錯誤きわまりませんが、そんなもんです。

ヘルプマークを持っていても、こういう変ないいがかりをつけられることは多いです。ひどいときは「1人で電車に乗れているから優先座席に座るべきではない」とか。どういう論理なんでしょうか。

優先座席に座ってもそういう不快な思いをすることが多いです。「高齢者がいっぱいいるのによく座れるよな…」とか言われても、こっちだってハンデ持ちなのは伝わらないでしょうか。そのためのヘルプマークなのに全然効果がないってことは、持ち歩いても意味ないですよね。

 

ヘルプマークを持っているからの嫌がらせ

マタニティマークでも同様の事例があるそうですが、そういうマークを持ち歩く人をターゲットとした嫌がらせもあるようです。「私は弱いです」タグを吊り下げてるわけですから、通路でぶつかられたり、足を踏まれても無視されたり、怒鳴られたりと色々です。

意味がわからないわりに、わかってる人たちには悪用されているのが辛いところです。マークの転売とか聞くと馬鹿みたいと思いますし、かといってマークをつけたところでトラブルばっかり呼び込んでいるなって印象です。

ヘルプマークをつけた人をつけまわす嫌がらせもあるそうです。赤いからよく目立ちますしね。とくに女性はこれ、ほんと意味あるんかな?って思います。

 

ヘルプマークだけでは何をしたらいいか分からない

だいいち、あのマークを見せたところで他人にはなにをしてほしいのか伝わりません。やってほしいことはカードの裏側に書けばいいのですが、そんな細かいとこはわざわざ他人は見ません。それに見えない障害っていっても千差万別なんだから「だからどうしたらいいの?」としかならない。

このマークを見せたところで、優先座席に座ってもいいくらいしか意味が無い。そして混んでいる時はまず座れない。すいていたら普通座席に座ればいい。

じゃあどうしたらいい?道端で倒れたときのために吊り下げておけばいいのか?ぶつかられたりスリにあったりとかのリスクと引き換えにそれを使うメリットはあるのか?

 

もうめんどくさくて止めた

結局マークがあってもとくに良いことはないし、むしろ不愉快なことが多かったので、今はヘルプマークは使っていません。認知されてないしされたら嫌がらせの対象になるし、優先座席に座ったらイヤな顔されるし、弱者アピールしたらスリ痴漢のもとになるし、なんかデメリットばっかだな今のところは、って感じです。

というのもこのマークを持ち歩く具体的なメリットがないわけです。大半の人からしたら「で?」だし、わざわざ自分はハンデ持ちだとひけらかしながら歩くことにどう利益があるのでしょうか。それこそ弱者アピールで何かをごねるときでしょうか?

綺麗事ですが、こういうマークがあるにしろないにしろ、困ったときは助け合える環境が理想なわけです。しかし誰しも自分に余裕がないと他人に優しくは出来ないから、わざわざ身を切って親切にしたりはしない。アンパンマンじゃないんですから。

自分がしんどいときに他人を助けるのはストレスです。まだわかりやすい弱者であれば親切心は湧きやすいかもしれませんが、見た目は健常そのものの人間にこれを言われても「はあ?」としかならない。弱さを示すマークがないから。そしてヘルプマークは今のところ、そこまで大きな効果を持たない。

当事者にも周りの人間にも存在意義が無い、そういうマークと判断したので、わたしは最近使っていません。めんどくさい。精神的な病気はどうせ認識されませんし、理解を押し付けてもウザイだけです。当事者になるまで理解などされません。

優遇されたいわけではありませんが、持ち歩いてもなにも意味の無いマークであれば、邪魔なので連れていきません。もしヘルプマークでなにか良いことがあったら教えてください。

精神障害と発達障害を持ちながら就活してるけどまあめんどくさい

もう本当にめんどくさい。普通に就活しててもそりゃしんどいしめんどくさいです。それにしてもハンデを抱えたまま行き先を探すことの大変さを噛み締めています。前の職場にいれば良かったとは毛ほども思わないけど、今の状態が好ましいものじゃないのは明らか。

 

手札を見せた瞬間逃げられる

自分の経歴を見るだけでは致命的なウイークポイントはない。はず。しかしここに(実は精神障害発達障害があるんです)とカムアウトした瞬間、まあ人がいなくなる、企業が消える、ご縁はなくなる。

今日も打ち合わせしていたある企業と切れてしまいました。嫌な予感はしていたのですが、やはりダメだったみたいです。ダメな理由はまあ想像つくというかどうせ障害のせいだろう、それ以外ないだろってわかる口ぶりだったので、まあ…世知辛い。わかってはいたけど、受け入れ先なんてなかなか存在しない。

長く働きたい前提なので仕方なくというかやむなくハンデを告げなければならないのですが、そうすると百発百中とは言わないですが、急に渋くなりお断りされます。だよね~わざわざリスクあるやつ雇いたくないよね…

 

オープンだろうとクローズだろうと

オープン求人なら問題ないのでは?と思いましたが、ダメでした。精神障害発達障害を雇用した実績がないから難しい、と。しかもこの手の社員はすぐにやめるからリスクが大きい。いちいち雇う必要はない。

しわしわピカチュウみたいな顔をして街を歩く日々です。障害という言葉を告げただけで圧倒的に不利になる。行き場所がない。じゃあどうやって生活したらいいのよ、国の金に甘えてるとかなんとか言われてもそもそも雇われる場所がないんだから仕方ないじゃないか…

 

かといってクローズ就労もうまくいかない。つか無理。フルタイム週5残業ありとか絶対無理。少なくとも今は絶対無理。できるわけがない。勝てない戦をしても仕方がない。

精神障害なんて甘えだ、気合いで治るなんていう人は当事者を雇ってみればいいと思います。どんだけリバウンドするか、それで当事者や関係者が困るか…つか、精神障害が甘えだ、って本当にそうなら私にとってはそんな都合のいい話はないんですよね。気合いややる気で治るなら低コストだし。そうもいかないから病院通って高い薬を流し込まないといけないんだし。ほんとやりづらい。

 

キャリアへの諦め

最初に病気になったときに思ったのは、もうキャリアアップとかは無理だなってことでした。命にはかえられないので当然です。しかし、まあ同年代の人と比べたら明らかに亀のあゆみどころか逆行してますし、ここ数年で良い収穫があったかというと、お察しです。

あのときに倒れなければ今でも働いていたかもしれない。ただ深夜まで働く日々を何年も何年も続けるのは絶対無理だし、そこまでして働かないといけない理由ないし、どの道手詰まりだったのかな。発達障害はもとからだし、躁鬱も激務のせいでトリガー入ったし。

治らないとわかった以上爆発しないように常にバランスとりながら生きていかないといけない。じゃあどうするか。オーバーワークはできるわけもない。在宅ワークと外ワークを組み合わせて考えるか。収入源をひとつに絞りたくないし。在宅ワークなら家から出たくない日でもどうにかできるし…

 

生きにくさの集大成

小さい頃から生きにくく、それをごまかして生きてきました。コミュ障だの空気読めないだの人間らしくないだのボロクソに言われてきましたし、周りをさんざんに怒らせてしまったし、そのことにも気づかないくらい無神経だった。それでものうのうと生きてきた。そのつけが今になって回ってきて、行き場所が見つからない現状にいたっているんだろうか。

仕事が見つからないというより、受け皿がない現実にガッカリしています。フルタイムのハードワークなんて二度とできないしやりたくもない。また躁鬱悪化しかありません。かといってハンデを見せるとそれに合わせた求人なんて見つからない。潮のように引いていく。「ご縁がなかったようで…」といなくなっていく。もうどうすんのよ。オープン求人にまで嫌がられたら、もう実質働くなって言われてるようなもんじゃん。

同年代は色々忙しく過ごしてるのに自分はなにをしてるんだろうか…と遠い目になります。なにをしてるか?と言われると、なにもしていない。あえて言うなら闘病?終わらない闘病ですが…

なにもしていないから、それを語ることもできない。というか理解もされないことをいちいち他人に言っても意味が無い。ただ「なにもしていない人」って思われるとカチンと来る。なにもしていない、というか、なにもできない、が真相なのに…

何回かお断りを喰らい、さすがにイライラしてきています。このペースで秋に来たらガーンと体調落ち込んでそのままなにもできないコースになりそう。さっさと決まるつもりだったんですが、選考前半ではねられてしまい、調子悪いです。やっぱイメージ悪いのかな…

 

ハードワークかシンプルワークか

結局この2択なんです。クローズ就労でいくなら必然的にハードワークだし残業もある。普通の人ならハードワークじゃなくても私にとってはそう。めっちゃきつい。

これを障害隠して採用されたとして、待っているのは定型と同じように働けることを前提とした日々です。半年以内にオワタになりそうです。定時で帰らせてくれ。

じゃあシンプルワーク。こっちのほうが自分の生活リズムを保てて適切なのでしょう。全然選考通らないけどな。正社員はもちろん派遣とかでもダメ。短時間バイトならまだいけるけど、なんというか気分転換くらいのお金しか稼げないから、生活費って感じじゃない。学生のほうがまだ働いてるかもしれない。

 

もうなんか、ここ数年ちっとも前に進んでおらず、むしろ後退しています。検査値も悪化しまくってるし。人生が全体的に悪い。バイオリズムにしても酷すぎる。いつになったら上向くのか?動かないと人生変わらないというが、動いてもちっとも好転しない場合はどうしたらいい?

なんかめんどくさすぎてキレ気味です。世の中にあなたの居場所はないんです、ということなら、あーはいはいそうですか、って諦めたくなります。口先ではダイバーシティはいくらでも言えますがそれを実現するのは本当に難しい。状態にムラがある私のような人間は更に。

 

果たして先は決まるんだろうか…盆までに決まるつもりだったけどもう無理ぽいです。秋に入ったら鬱始まるし、もうなんだかなあ…こんなダラダラ人生で大丈夫なんだろうか…

堕落してるなと思います。でも仕方ない。

壊れた心は戻らない、からこそ慎重に生きなければならないと思うメンヘラ

この数年思うことなんですが、心が壊れるということは非可逆的な現象である、と。

ちょっと傷つくとか落ち込む程度なら回復するんですが致命的なダメージを受けてしまってはもう駄目だ。それに早く気づいていたらいいんですけど、だいたいの場合壊れてからようやく実感する。「あ、壊れてしまった」と。そうなってから初めて気づく。

よく健康は失ってから気づく、と言いますが、あれと同じです。

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この増田はアセクシャルなんじゃないのか、理解されづらくてしんどいよね

まるで自分が書いたのか?と思うような増田が投稿されていたので、紹介します。自分みたいな状態の人って結構いるのかもしれない、と思わされました。

anond.hatelabo.jp

細かいことは書きませんが、私も上記に近いです。カウンセリングが必要なのか、認知のゆがみを直す必要があるのか、さんざ考えました。10代のころからそうでした。必死に人を好きになろう、ならなければならないと思った時期もありました。

最近あきらめました。ムリです。ムリなことを強制的にやっても、仕方ない。

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発達障害って昔からたくさんいたよね?最近生きづらすぎない?

最近、自分の子が発達障害ではないかと気をもむ親御さんが増えているそうです。本屋を見ると真偽もあやふやな「これをやれば発達障害が治る」系の本ばかり。少し話し出すのが遅くなれば発達障害なんじゃないか…抱っこをいやがる、目を合わせない…どうしよう、発達障害だったらまともに生きていけない、この子の未来を思うと可哀そうで…みたいな声を見ることがあります。

当事者としては複雑な気分です。

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躁うつ病は甘え…なわけないし、絶望的な精神障害であることを伝えたい

躁鬱病双極性障害(2型)であることを前提に就活したり周囲の人と接したりする私ですが、この疾患への理解というのは恐ろしく低い。

 

うつ病はなんとなくぼやっと形が決まってきたかもしれないけど、躁うつ病はまだまだ妖怪のような病気と思われている。理解されないでしょう、中の人がころころ入れ替わる病気なんて、意味が分からないと思われるでしょう。それでも言いたい、甘えているわけではないのだと。

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精神障害・発達障害の自分の就活、なんの取り柄もないことに気づき絶望する

いやもう…転職したいつもりで、その活動はしてるんですよ。エージェントとか使ったり派遣を検討したり、在宅ワークも始めたり、少しずつやれることが増えている、と思ってはいるんですよ。いつまでも無職でだらだらできたらそりゃいいですけど、いつまでも履歴書まっしろだとあれだし、少しは世の中に出たほうがいいのかなって気分なんですよ。

ただもう…履歴書とか職務経歴書とか書いてると物悲しい気分になりますよね。自分てほんと取り柄が何もないんだなあって暗くなります。

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診断前からそういえばあった、双極性障害シグナル。軽躁、うつの繰り返しだった学生時代

わたしは現在双極性障害2型と診断されています。最初はうつ病だったのですが、過去の症状を医師に話すうちに「もしかしたら双極性障害かも」と言われました。のちに主治医を変えても「躁鬱の浮き沈みがある」とは言われたので、現在のところは双極性障害のつもりで薬物治療などを行っています。

自分が躁うつ病なんて考えてもいませんでした。そんなの無縁と思って生きてきました。自分ではむしろメンタルが強い方と思っていたので、こんなことになるとは思ってもいませんでした。しかし現実として、双極性障害はあります。

そして振り返ってみると、もしかしたら診断されるずっと前から双極性障害の症状はあったんじゃないか?と思いました。思い当たるものを書いてみます。

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初夏における軽躁と鬱の繰り返しと、双極性障害がブログを書く意味

天候が安定しませんね。もちろん私の体調も安定していません。人生凸凹です。就労移行支援や就職エージェントを利用していたりしますが、まあ目に見えた成果と言うのはまだ出ていません。焦っても仕方ないのですが、これまでの季節性ルールとして春・夏が活動的になって残りはアウトなのが明白なのです…だから今のうちにいろいろ進めておきたいのは本音です。

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アセクシャルと恋愛感情が無いこととLGBTの話

前にもこのブログに書いたのですが、わたしは多分アセクシャル(無性愛)です。多分というのがまたあやふやなんですけど、別に病気でもないし、医者に診断してもらうものでもありません。自己申告で自分をカテゴライズするのであればアセクシャルという言葉が1番当てはまります。今のところは、です。

 

好きになれる人がいなかった

なぜ人間は他人を好きになれるんだろう、他人をパートナーにしたがるんだろう、それが古くからの疑問でした。それは生物の本能で当たり前のことなんだと言われたらそれまでなのですが、わたしにとってはどうにも奇妙な現象に思えた。

 

たとえばかっこいい人がいたとしても「かっこいいなあ」と思う。そこから先には進まない。他の人はそうではないらしい、自分のものにしたがるらしい。その感覚がいまだにわからなくて、自分はいったいなんなんだ?といろいろ調べてるうちにアセクシャルにたどり着きました。確定事項ではありませんが、これ以上に共感する表現はありません。

 

学生時代によくある恋バナとかも非常に苦手だったし、なぜそんな話を延々とできるのか、クラスの誰が好きかとか、それで盛り上がるのかがよくわからなかった。人気のある人はたしかにカッコいいのかもしれないけど、それで本格的に恋愛感情を持つことがなかった。謎です。

 

まだ出会ってないだけだよ

よく言われるのはこの言葉です。そりゃ学生とか若い人にはそういえばごまかせますけど、こっちはアラサーでもう自己というものも形成されているわけで…

恋愛という人なら普通にすることがやっぱりよくわかんなくて、お試しで交際したりもしましたが、結局よくわからないまま別れました。いい人に出逢えば人生変わるんでしょうか?でもまず自分が発達障害精神疾患のハンデ持ちだから、そんなの相手してくれる優しい人はそうそういないでしょう。

 

人の美醜がわからない訳ではなく、俳優やアイドルを見てカッコイイとは思います。しかしそれ以上のなにかはない。現実でもそう。薄い膜が張られたように遠い世界に思えて、妙な感じです。なんでみんなスイスイと人を好きになれるんだろう?首をかしげてしまいます。

 

「ない」の証明は難しい

アセクシャルはLGBTQAのAに該当するそうですが、セクマイの中でもちょっと種類の違うものなのかもしれません。わかりやすくいえばゲイ=男性を「愛する」男性、レズビアン=女性を「愛する」女性ですよね。「愛する」ことの証明は比較的簡単ですが、「愛しない」ことというのは証明が難しい。まだ出会ってないだけじゃないの?他人に興味がないだけなんじゃないの?もっと出会う努力しなよ。

 

そう言われるとこちらもどうにも否定しづらい。私は人を愛せないんだ、と言うととんでもなく残酷な人間のように思える。そしてどこかにいるのかもしれない「運命の人」を探す努力もせずに諦めていると思ってしまう。一昔前の草食系とでもいいましょうか。もっとガツガツしないとダメだよ!と言われる。

 

しかし…やっぱりなんか違うんですよね。アセクシャルの本を読んでて共感する部分が多い。スキンシップ嫌いは自閉症スペクトラムに多いとかね。ドンピシャですよね…わたしはスキンシップが本当に本当に嫌いで、手を繋ぐのさえ吐き気がするのでマジで病気というかカウンセリングが必要かもしれません。

 

一時期はあまりにも恋愛ができないので自分はレズビアンなのではないか?と疑ったこともありました。でも可愛い女の子を見てもどうこうしたいとは思わなかったから、やっぱり違うなと思いました。

 

そして「女の子扱い」されることに強く違和感を持ちました。自分のジェンダーが女であるのは納得しているけど、他者から女と扱われるのは凄く変な感じがする。パンプスもワンピースも別に嫌ではないけど、誰かに褒められるためにそれを着るわけでもない。

 

変な感じが昔からずっとあります。言葉にしづらいし、他のセクシャルマイノリティと違って「ない」ことを示す属性というのは、なかなか難しいものです。当事者からしたら「ない」としか言いようがないのですが、たぶん大多数からすると「なんだそりゃ」なんだと思います。

 

人をちゃんと好きになる感覚を持ってないというか、その能力が極めて弱いというのか。嗅覚が非常に鈍いんだと思います。そしてパーソナルスペースが広い。男であれ女であれ近づいてこられると生理的嫌悪感がある。これが何故なのか、発達障害ゆえの過敏性なのかは知りませんが、これを克服しないと恋愛どころじゃないだろう…と思います。

 

彼氏よりパートナーが欲しい

ここ数年やたらと周りが結婚していきます。アラサーともなると当然でしょう。最初は悔しかったし羨ましかったけど、もう諦めてきました。

 

わたしはとんでもなく性格が悪いし、双極性障害で気分はコロコロ変わるし、発達障害でうまく生きられないし、こんなんがスムーズに結婚できたら逆に奇跡だと思います。親も前まではごちゃごちゃ言ってきましたが最近は無言です。とりあえず病気治して仕事についてからの話だ、ということです。

 

ときめくことができない体(脳)なのだろうと思います。アラサーになるまでその感覚がないのだから、多分この先もないのであろう。しかしアセクシャルだからといって、なにか訴えたいことがあるわけでもない。他のセクマイと違って同性婚とかの推進運動をするわけでもない(わたしは同性婚に賛成です)恋愛をしない自由を訴えるというのも変な話ですし、せいぜい右手の中指に黒いリングをはめることくらいでしょうか。

 

実社会で害を感じているわけではないのですが、時折「??」となってしまいます。フィクションの中の恋愛はなんとか理解できる。でも現実にそれを持ち込まれるとなぜか異様な違和感がある。他人と接することに猛烈な嫌悪感がある。当たり前にふられる恋愛トークに「とくに言うことないんだけどなあ」という気分になる。

そういや「バリア強いよね」と言われたこともあります。いま思えば、変なやつって意味だったんでしょう。

 

この先だれかを好きになることがあったとしても、それは恋愛的な意味ではなく、友愛的なそれなんじゃないかと思います。ときめく関係はよくわからんから、一緒にいてラクな人をひたすら探す必要がある。ここまで気難しい自分でも付き合ってくれる仏のように優しい人を見つけなければならない。厳しい。

 

将来のことを考えてもよくわかりません。子どもができるとも限らないし。だとしたら今飲んでるリチウムとかは切るから頭混乱必至だし。そもそも結婚できるかもよくわからない。友達はすごい勢いで結婚したけど自分がその波に乗れるわけもなく、波打ち際でバタ足状態です。

 

ただなんとなく、もう「人を好きになる」感覚は理解しないままこのまま生きていくのだろうと思います。友情や尊敬は理解できるけど、恋愛感情を持つことは無い。他人がそれを持つのはわかるけど、自分はそれには該当しない。

 

人を好きになるのがあまりにも苦手、人を好きになる能力が弱い、そういう状態にあえて名前をつけるなら、アセクシャルなのだと思います。

 

とくに実害はないので別にいいのですが、理解者がいないとなんとなく寂しいものです。同じように思ってるアセクシャルもしくはアセクシャル予備軍とかいないでしょうか。「出会いがないだけだよ」と言われて違和感を覚えるあの感じを共有できたら嬉しいんですけどね。

普通じゃないことと発達障害と過剰適応について

変わってる子だね、個性的だね、ユニークだね、独特の視点があるね。

ちょっと普通じゃないよね。人の気持ちがわからないのかな。想像力ってものを使えないのかな。普通人間ってこうするよね、なんであなたはそうなの?

ちょっとおかしいんじゃないの?

昔から言われてきました。普通じゃないと。今の私を「普通」と言う人は結構います。私のことを良く知りもしない人から「普通じゃん、気にする必要ないよ」とか無責任なことを言われることもあります。しかしそういうことじゃない。普通に見えたとしても、私が感じている苦しさはそういうことでは解消されないのです。

 

普通じゃない自分のままでは生きていられなかった

昔からずっと普通になりたかった。普通であることが普通の人間になりたかった。ずっと執着しています。今だってそうです。普通であることが当たり前の世界に生まれたらどんだけよかったか、毎日のように苦しい思いをしています。普通じゃないと言われることが異常に怖くて、びくびく過ごしています。しかし普通じゃないかと言われたら言われたで「こっちのことも良く知らないくせに」といらだってしまいます。自分勝手なものです。

私はアスペルガーADHD両方の性質を持っていて、いわゆる発達障害です。今トレンドの言葉ですよね。子供が発達障害だったらどうしよう、そう悩む親御さんも多いんじゃないでしょうか。本屋を見るといい加減な本がたくさんあります。「これを食べさせたら発達障害が治る」とかね。バカじゃないのって思います。そんなんで治るなら苦労してないわ。

私が生まれたころはまだ発達障害の認知度が低かったので、いわゆる「変な子」扱いで済まされていました。ごっこ遊びができなかったり集団になじめなかったり異様に手先が不器用で居残らされたり、幼少期を振り返るとそんなのばっかりです。

でも、本当に嫌だったのはコミュニケーションができないとか運動が苦手とかそういうことじゃないんです。それによって「どうしてこの子はこんなに出来ない子なんですか?」という目を向けられることです。

自分は自分のやりたいように、思ったように、信じたように行動しているはずなのに、その全部が「おかしいでしょ」と否定されること、これがものすごく苦痛でした。

なぜ外で遊ぶ子が良い子なのか、なぜよく笑う子が良い子なのか、なぜかけっこが早い子が良い子なのか、そうじゃない子は「変わってる」とその都度言われなければならないのか。理不尽と感じることばかりでした。

発達障害の特徴は幼少期に一番現れるそうなので、おそらく幼稚園~小学校のころのエピソードがサンプルになるでしょう。今ふりかえっても、言葉に尽くせないくらいおかしな子でした。自分が親だったら発狂して投げ出したくなるくらいおかしい子です。よく育児ブログとかで出てくる「かわいらしい子供のしぐさ」「お母さんへの愛情を示す言葉」なんてのが、本当にわからない。スキンシップ大嫌いなのが発達障害の特徴のひとつらしいですが、それも該当します。普通の子供のパターンに当てはめられないことが非常に多かった(幸い? それを責めるような家族ではなかった)。

そして「おかしい」と言われても何がおかしいのかわからない。どう直したらいいのかわからない。他人が何を喜び何に悲しむのかわからない。だからなんとコミュニケーションを取ればいいのかわからない。何をしても火に油を注いでしまう。じゃあ黙っているしかないじゃないか。

根深い自己否定はこのころからありました。さいころで6が出ることを祈っても毎回毎回1が出る。確率的にはそんなのありえないのに、自分に限ってはそういうことばかり起きる。他人はどんどん先に進んでいく。そういう虚しさを感じていました。

「普通じゃない」ことそのものが辛いのではなく、それを他人に受容されることはないこと、社会で生きるためには「普通じゃない」存在は求めらないことを知ったのが非常に大きなショックでした。

 

社会に溶け込むために過剰適応を始めた

そんなこんなで10代が終わるころまでは「普通じゃない」レッテルを貼られ続けて生きていきました。自分でもその自覚はあったし、もう何をやっても言われても白い目で見られるし、わけもわからず嫌われるし、うんざりしていました。そのころネットで検索していたら「アスペルガー」という言葉を見つけて、もしかしたら自分ってこれなんじゃ…?と疑い始めました(病院には行かなかったけど、結局この予感は的中していました)

そしてアスペルガーがいかに周囲に迷惑をかける存在であるかを目の当たりにし、今までの自分のやらかしを思い出し、たくさんの人を不快にさせてきた事実に後悔しました。おそらく思い当たることの10倍以上は迷惑をかけています。まだ大学も出ていない歳でそれだけ迷惑をかけているのなら、この先もっと生きにくくなる。「普通の人」が大多数の社会で生きていくのであれば、少しでも擬態しなければならない。そう思い、普通の人の真似を始めました。

具体的には「自分の思ったことは一切言わない」ことを徹底しました。なぜなら、自分の言ったことは十中八九言わなくてもいいことだからです。たとえば「前髪切りすぎてるじゃん」とか「ネックレス似合ってないよ」とか「パンプスのかかとボロボロだよ」とか。そういうことを個人的に言うならともかく、集団で言ったりしてめちゃくちゃ怒られたり無視されたりしました。当然ですよね。とにかく口を噤む。自分の思ってること、言いたいことは、相手が望むものではない。これを何度も言い聞かせました。

そしてコミュニケーションがうまい人の真似をする。どうも聞き上手の人が多いようなので、あいづちや表情などを作って、相手が話しやすいようにしました。どうも自分は声が平たんで無表情になりがちで感情が読めないと言われます。テレビに出ていたアスペルガーの方の顔と話し方があまりにも自分と同じでびっくりした記憶もあります。とにかく人間の真似をする。今まで何ひとつ身に着けてこなかった人間としてのしぐさを必死に習得する。それは何年も続きました。

これもひとつの「過剰適応」だったんだと思います。人間の社会の中では人間としてのふるまいを求められる。それができない人は集団の和に入ることは許されない。そういうことをようやく自分でも認識して、普通の人であるかのようなお面を制作することにしました。最初は苦しかったです。自分じゃない何かを演じている気味悪さがつきまといますし、でもそうじゃないと生きていけないし、「自分らしさなんていらないから、人間らしくいなきゃ」と毎日必死でした。それは今まで迷惑をかけた人への贖罪でもあり、今後少しでも生きやすくしたい自分の傲慢でもあります。

 

肉を食べるシマウマ

今でも思い出すトラウマ的記憶として学生時代のバイト先があります。接客業で手を細かく動かすものだったんですが、まあ向いてなかった。そこの店長には毎日のようにいびられて、メンタル豆腐ですぐに落ち込んでしまって、ある日には「死にたいなあ」と踏切でずっと立っていました。

バイトじたいがしんどいのではなく「こんなこともできないのか」「なぜほかの人にできることがこんなにも難しいのか」という自分への絶望からでした。

もしかしたら双極性障害のうつエピソードもここに入るのかもしれません(その後は軽躁バリバリが始まったので)

人格否定まがいのことを毎日言われたのですが、やはりきついのは「どうしてほかの人みたいにできないの?」「普通こうするよね?なんで想像して動けないの?」「察するってわかる?こういうときお客様はこういうこと思ってるんだな、こうしてほしいんだなって、普通察するよね?」「今までどうやって生きてきたの?どうしてそんなに他人の気持ちがわからないの?」「もっとこう、人間らしくなろうよ。機械じゃないんだから」

過剰適応の最中ではあったのですが、上記のことを言われると「ああ、まだダメなんだ」「人間になれてないんだ」と落ち込み、必死にコミュニケーションの本を読み、鏡の前で表情をつくりました。テレビ番組の芸能人を見て話し方をまねしたり、リアクションを参考にしたり、ちっとも興味が無いけど人気の漫画を読んだり。人間とはかくあるべき、という定義を探して、ずっと練習を続けています。今もそうです。「浮世離れしている」と言われることが多くて、遠回しに嫌味なんだろうかと疑心暗鬼になって、誰かを不快にさせてるんだろうなと自己嫌悪します。もう障害なんでどうしようもないんですけどね…

バイト先でぼろくそ言われながら過剰適応の練習を続けた結果、当時よりかは人っぽい動きができるようになったかと思います。本質は全く変わっていないんですけどね。たぶん就活とか絡んだのも大きかったと思います。就活で「人間らしさの擬態」を特訓しました。就活は自分らしさなんて出しても意味ないですからね。セオリーさえ覚えればロボットみたいに受け答えすればいいんだから、ある意味楽です。短時間勝負なら見抜かれにくいですし(雇用されてから化けの皮が剥がれて評価が下がるパターンです)

今の自分は例えるなら肉を食べるシマウマです。肉がおいしいとは思わない、食べたいとも思わない、でも肉が上級の食料とされている世界だから、そうしなければならない、そうすることが正解だと強く思わされている。そんな感じです。

こういうことを書くとまた「普通じゃなくてもいいじゃん」だの「自分らしさが大事」だの言われるのですが、そういうことじゃないんです。

普通じゃないことがつらいのではなく、そうすることで予期せず人に迷惑をかけたり、怒らせることで自分の価値をこれ以上下げることがつらいのです。

発達障害は個性だとか馬鹿抜かす人たちはたくさんいます。やれアインシュタインだのエジソンだの坂本龍馬だの世に出たたくさんの天才たちの多くは発達障害だったって例示されます。最近の例だと米津玄師もそうでしょう。

間違いなく今の日本音楽のトップを走る人間が高機能自閉症だと言われて、それをネガティブにとらえる人は、多くはないと思うのです。むしろ「そういう障害があるからこそとんでもない才能があるんだ」「神様からのギフトだ」と礼賛するでしょう、とくに障害に関して無知なファンは。

まるで発達障害が天才のアクセサリーのようにもてはやされる。私はそれがどうにもしんどい。

彼らが天才なのは言うまでもないし、それが発達障害に由来するものなのかもしれない。山下清サヴァン症候群ゆえの記憶力で多くの絵画を残しました。

しかし「才能があるから発達障害でもいいじゃん」だの「自分らしさを大切にしていたら世間に認められる」だの、外野から適当なことを言われるのは本当に不愉快です。天才はごく少数だから天才なのであって、他の99%は凡庸以下の人間です。

発達障害は能力の凸凹が大きいですが、じゃあその凸が「天才」になるために備わった才能なのか?って言われたら……世の中もっと「天才」って多いと思いませんか?

役にも立たない凸凹を抱えて生きる人間なんて大勢います。発達障害だってそうでしょう。昔は職人的スタンスや農業とか単純作業の仕事とか、仕事の選択肢はあったかもしれません。しかし今は本当に厳しい。人間らしく振舞えない人間にとても厳しい。コミュニケーションもマルチタスクも大嫌い。感覚過敏で電話の音が聞き取れない。「そのへん適当にやっといて」の意味がまったくわからない。集団のヒエラルキーがわからない。嫌味さえわからず、後からハラスメントを受けていたことを第三者から言われる。

生きていくのは本当にきつい。シマウマが草を食べるのは当たり前のはずなのに、それがおかしい、それは普通じゃないと言われる。だから肉を食べる(東京グールでも、普通の食べ物が吐き気するくらいまずいのに無理やり食べてますよね。あんな感じに近いと思っています)言葉に表現しにくい違和感があるのですが、それでも生きていくためには擬態するしかないと私は思っています。「自分らしさ」なんて必要ない。一部の天才たちにはそれが金となり名声となり他人を動かす力になるのかもしれませんが、凡庸以下の自分にはそんなの必要ありません。

繰り返しますが発達障害なんて個性じゃありません。マスメディアは映える発達障碍者ばかりを取り扱っていますが、あんなキラキラしたのはごく一部でほとんどが「障害」です。

発達障害を個性だというのであれば、なぜ今「発達障害は治る」というバカげたビジネスが流行っているのでしょう。それって矛盾してません?個性なら伸ばせばいいじゃないですか。無理やり矯正しなくてもいいじゃないですか。

治したい親が多いってことは、それってつまり、発達障害なんて「個性」とかいう優しい言葉じゃ表せないものってことでしょ?

凸凹をさらけ出したまま生きるのはとてもしんどい。かといって過剰適応で自分を隠しながら生きるのもしんどい。どうすればいいんでしょうね?人間擬態薬でも開発されればいいのに。一般的な人間の頭の中を理解できる薬があればいいのに。人間らしく動けるようになればどんなにか楽か。凸凹なんていらないので、もっと平らな人間になれませんかね。

普通じゃないことはとても苦しいです。でもそれ以上に、誰かを傷つけたり自分を無価値だと痛感させられたりすることが辛い。なので、これからもなるべく普通と思われるように誰かに擬態して生きていきます。そうするしか今のところ自分には道がないので。

「うつヌケ」と心の支えと「無敵の人」について

本棚を整理していたら前に読んでいた本が出てきました。今から二年前、ひどいうつでよれよれだったときに読んだものです。「うつヌケ」。手にとった人も多いんじゃないでしょうか。

 

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 この本が出てから「うつぬけ」のワードが増えた感じがします。というか2017年からうつ関係の書籍が増えたような。自分が見るようになったからってだけかもしれませんが。カジュアルな表紙で手に取りやすいですよね。薄いピンクでとっつきやすい絵柄。うつという題材の重さに反し、優しいタッチで進む物語は、患者も家族も読みやすいです。

ただこれを初めて読んだころからずっともやもやしてたことがありまして、それを今回も感じたので記事にしておこうと思います。

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